『不在者の祈り』タハール・ベン・ジェルーン
●今回の書評担当者●蔦屋書店熊本三年坂 山根芙美
忘れられない画がある。
随分昔の話ではあるが、とあるテレビ番組で観た砂に祈る女性の姿だ。
残念ながら番組のタイトルも、前後の繋がりもおぼろげでどういった趣旨の番組であったのか、それすらはっきりとしない(なにせ私は当時学齢前であったと思う)。
ただイスラム教徒である彼女たちが身にまとう真っ黒なチャドル、灼熱の太陽と、延々と広がる砂漠。
そんな光景と、「全てが砂に埋もれてしまうから砂に祈る」というナレーション、その一場面だけが、網膜にこびりついてはなれない。
私の生まれは山陰の、「水の都」とあだ名される街だった。
同時に隣県には日本屈指の砂丘があるのだが、その砂丘は海に接していて、砂丘の頂上に登ると目前には青々とした海が広がっている。
つまり、感覚的に身についていた山と海のイメージに対し、砂(それもただ砂ばかりが広がる光景)のイメージははっきりとしていなかったものが、この番組で初めて描かれた、といってもいいのだと思う。
砂漠に心惹かれるようになったのは、多分それ以来のことだ。
サン=テグジュペリ、ランボー...砂漠は多くの人の心を惹きつける。
『不在者の祈り』の舞台はモロッコだ。西サハラの、砂に埋もれた国。
首都のフェスから、男女3人の幽霊が、赤ん坊として生まれ変わった一つの魂を救済するためにひたすら南へと向かう物語だ。
それは、まるで逃亡にもみえる道のりだ。
彼らが立ち寄る街は死と腐敗に満ちていて、とてもではないが「救済」の希望を見出すことができない。
かれらが向かう「南」とは、サギア・エル=ハムラのスマラという都市だ。
どこかで聞いたことのある名前だと思ったら、ル・クレジオの『砂漠』の舞台となる都市だ。
砂漠の英雄マ・エル=アイニーンの築いた都市。
逃げるように数多の都市を経て、救済のためにその都市へと向かう。
魂の救済のための道をゆく彼らにとってはこの都市は「はじまり」だ。
クレジオの『砂漠』では、「過去」の過酷な砂漠の行軍と、「未来」の末裔の生活が多声的に語られる。
2つの話が描かれる、この都市はあまりにも示唆的な土地だ。
過去であり、現在であり、未来である。
歴史は砂に埋もれ、多重的な響きをもって物語られてゆく。
砂は常に流動し、ひとところにとどまる事がない。
さらに大陸ならではの境界線のあいまいさ。
土地というものは持続し得ないものである、と特に砂漠に生きる人たちは本能的に知っているのかもしれない。
タイトルの「不在者」とは誰だろう。
それが物語の中で語られることはなかったこの土地の人々であると考えた時、その「祈り」ー過去へ、現在へ、未来へと、この土地へと堆積してゆく数多の声が聞こえてはこないか。
まるで砂のようにぱらぱらとこぼれおちてゆく語りは、積もり重なって再び語られるのを待つ。
私の砂漠への憧れも、当分冷めそうにない。
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- 蔦屋書店熊本三年坂 山根芙美
- 生まれ育ちは山陰。大学進学で九州へ。お酒といえば芋焼酎というくらいにはこの地に馴染んだ頃。基本宵っ張りで丑三つ時に本を読んだり映画を観たり。映画鑑賞は趣味だと言えるけれど読書は趣味だとは言えない。多分業。外文偏愛傾向のある文芸・文学好き。