『小春日和』金井美恵子
●今回の書評担当者●蔦屋書店熊本三年坂 山根芙美
書店員なんてやっていると、おすすめの本を尋ねられることがごく頻繁にある。中にはどういった読書遍歴をたどってきたのか、という質問もあったりして、中々に悩むところだ。
私はあまり系統だった読み方をしていなくてそれこそ手当たり次第に図書室の本を読み漁っていたのだけれど、「高校生」というある限定された一時期のことを考えるときに思い出すのが金井美恵子の『小春日和』だったりする。
小説家の叔母のマンションに居候する大学生の桃子のひとり語りですすめられる話は、著者曰くの「少女小説」である。とはいえ、この少女小説はいわゆるビルグンドゥスロマンの文脈では語られない。なぜならば主人公の桃子は周囲との摩擦を面倒だと忌避していて、だらだらとした変化のない日常を長回しの台詞で語っているだけなのだから。その姿は高等遊民さながらだ。
自負心が強く、小生意気でシニカルかつペダンティック。この本が書かれたのが80年代後半のことであるから時はまさしくバブルを謳歌していたはずで、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』に描かれたようなこの時代の女子大生と比べたら桃子や花子のようなタイプは異質だ。恋愛も苦手で、男性の立ち位置はどちらかといえば競争相手。それでも(というか、だからこそというか)きっと桃子や花子のような少女像は、ある種の少女たちにとって共感性が高く(それでいてモデルにもしやすい)普遍性をもつタイプなのではなかろうか、と思う。だからきっとこの本をよんで「これ、私のことだ」と思った少女たちは多かったに違いなく、きっと今でも多いのだろうと思う。
私にしたところで境遇に共通点があるわけでもなく、主人公の一人称で語られる話は時代性を割りと色濃く反映していたりするので、年代が異なっていれば違和感を覚えることだってたくさんあった。それでも桃子と花子が話題にするエリセの『ミツバチのささやき』や、ヌーヴェルヴァーグの映画はこの本を読んで借りにいったし、ロラン・バルドやジル・ドゥルーズ、名前は知っていても読んだことのなかったそれら哲学者の本を、少しドキドキしながら手にとったことも覚えている。
と、ここまで書いて気がついたけれど、この本は「高校時代に読んでいたこと」を思い出すのではなくて、「高校生だった私」を思い出させるのだった。この本を今でも時折手にとってしまうのは、要はまあ懐古趣味なのだろうと思う。私もあの頃少女だったのだ、というそのことを懐かしむための。かつて少女であった者どうしの同時代性の共有であり、男性を排除したうえでの排他的な感傷でもある。
「少女小説」は乱暴に分けて二通りある。少女が読むための小説であるか、それとも少女性を取り上げたかつて少年少女であった人たちのための小説であるか。
それを思うにつけ、この本はまさに「少女小説」に違いない。
- 『バンヴァードの阿房宮』ポール・コリンズ (2014年11月20日更新)
- 『おだまり、ローズ』ロジーナ・ハリソン (2014年10月16日更新)
- 『歪み真珠』山尾悠子 (2014年9月18日更新)
- 蔦屋書店熊本三年坂 山根芙美
- 生まれ育ちは山陰。大学進学で九州へ。お酒といえば芋焼酎というくらいにはこの地に馴染んだ頃。基本宵っ張りで丑三つ時に本を読んだり映画を観たり。映画鑑賞は趣味だと言えるけれど読書は趣味だとは言えない。多分業。外文偏愛傾向のある文芸・文学好き。