『女が嘘をつくとき』リュドミラ・ウリツカヤ

●今回の書評担当者●銀座・教文館 吉江美香

  • 女が嘘をつくとき (新潮クレスト・ブックス)
  • 『女が嘘をつくとき (新潮クレスト・ブックス)』
    リュドミラ ウリツカヤ
    新潮社
    1,944円(税込)
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「これのどこがオモシロクて、スゴイの?」
 友人に訊かれた「これ」とは発売当初から話題になり10年経った今も静かに売れ続けている『ソーネチカ』である。

 そう問われてハタと考え込む。「すごいんだ!ソーネチカ」と、ことあるごとに言っているわりには、ええっと、なぜかと言うとそれは・・・とモゴモゴしてしまう。読めば読むほどわからなくなっていく気がする。

 子供の頃「メロスはあんなに走ってばかじゃなかろか」という読書感想文を書いて要注意児童になったワタシだけれど「あそこまで人を信じるソーネチカはどうかしてるぜ!」とは思わなかった。(←多少は成長)リュドミラ・ウリツヤの凄さとはいったい何なのだろう。

 待望の新刊『女が嘘をつくとき』の原題を直訳すると「貫く線」というような意味合いを持つ深〜いお言葉だそうだ。(ロシア語なんてスパシーバとピロシキしか知らないな)連作短編集のどれにも(主役として、脇役として)登場するジェーニャの周囲で繰り広げられる、日常のなかの嘘。男の嘘、女の嘘、こどもの嘘。当のジェーニャはソーネチカとは違うが、お人好しが高じてつい信じてしまう。そしてそれらの嘘に首を突っ込み振り回された挙句、彼らに同情し優しくなだめ、そっと寄り添う。出まかせ人間に呆れながらも有能な彼女はただの人情家ではなく、嘘を暴き、時には厳しく諭す。

 しかし、こうもあっけらかんと嘘をつく人々の様子に触れると「嘘をつくのは悪いことです」と誰もが幼い頃から教えられてきたことが、そうでもないかも、と思えてくるこの不思議。さまざまな状況下で嘘をつかなければ自分を支え切れなかった哀しさもなんのその、その渇いた開き直りに潔ささえ感じる。

 そもそも嘘をついたことがない人なんていないはず。曖昧模糊、不確かで複雑極まりないやっかいな「人間という生き物」はどれだけの矛盾を抱え、内と外はどんなにかけ離れているのだろう。

 シリ・ハストヴェット(ポール・オースターの妻・自身も作家)が「まったくないことをまるであったように書くのが小説」と言っているように、本作を読む私たちは嘘の中の嘘にさらにまんま騙されているのだ。

 ジェーニャの納得いかない不遇な晩年を慰めたのが、かつての友人、学問のないリーリャの作り話だというのは不条理? それともこれこそがこの小説の真髄だとしたら、自分は嘘をつかないという線を貫き通したジェーニャは<嘘>に助けられたことになる。

 官僚の特権が蔓延る70年代後半からペレストロイカの時代を経てソ連崩壊、資本主義が台頭し始めたモスクワの20年間が舞台。時代や人の変化がストーリーの端々から読み取れ、そこに登場人物と彼らの日常がぱちんぱちんとはまっていく細かい描写がこれまた格別の味わい。柔軟かつ多様な文章は、フェアな精神の持ち主ウリツカヤの大らかさに満ち溢れている。

 ああ、それにしても仕事が楽しくてしょうがないな、ワタシ!(嘘)

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銀座・教文館 吉江美香
銀座・教文館 吉江美香
創業127年を迎える小社の歴史のなかでその4分の1余に在職してるなんて恥ずかしくて言えやしないので5歳から働いていることにしてください。好きな人(もの)はカズオ・イシグロ、木内昇、吉田健一、ルーカス・クラナハ、市川左團次、UKロック、クリミナル・マインド、文房具、生け花。でもやっぱり本がいちばん好きかな。