『弱くても勝てます』高橋秀実
●今回の書評担当者●銀座・教文館 吉江美香
かなり昔のことを思い出した。
「ウチの体育祭さ、おもしろいよ」と懸ちゃん(面倒くさいのでどんな繋がりかの説明は略)が言うので開成に出向いたことがある。男子校とはいえ荒々しい競技が続き、騎馬戦は馬ごと倒すのが慣例のようだ。何か月も前から作戦を練る棒倒しに至っては担架が用意されている。グラウンドの隅では勝負に負けた下級生たちが泣きながら正座をして先輩の話を聞いている。それは説教ではなく「お前たちはいい負け方をした」という檄だ。しかしよく見ていると熱い戦いと応援合戦の合間はなんだかのんびりしている生徒が多い。切り替えがうまいのかなぁとあの時感じた妙な違和感が、この本を読んでようやくわかった気がする。
とにかくこのべらぼうな面白さをどうやって伝えよう? マイ・ベスト・オブ・ノンフィクション2012。
こんな野球ってアリなのか?!と呆れるに近い驚きが、いつのまにかアリなのだと思えてくるこの不思議。
ピッチャーならできる、バッティングだけOK、ゴロを捕って投げるのが下手、内野は怖い、盗塁は好き、涼しいから外野がいい・・・こういう面々が開成高校野球部のメンバーなのである。決していい加減なのではなく彼らは自分なりに考え悩み野球に取り組んでいるのだ。
グラウンドを使えるのは週に1回3時間という環境の中で「勢いのある攻撃と大崩れしない守備」がモットー。
レベルの高いチーム同士が対戦するときに通用するセオリーでは「異常に下手な開成」は絶対に勝てないのは明らかだ。打撃をぶつけて打ち崩し早い回で大量得点、コールド勝ちに持ち込む先手必勝のドサクサ野球を目指している。15~20点獲っていれば守備なんか多少崩れたっていいのだ。
「エラーは開成の伝統です」と言い切れるのはむしろ清々しい。
一生懸命投げるな、抑えようとするな、甘い球を投げろ、がピッチャーへの声掛け。押し出しの連続で相手に点を与えても「まだ打たれてないぞ!」。フォアボールばかりだから確かに打たれてはいない。
たとえヒットを打っても思い切り振らないと怒鳴りつけられ、手首を捻るくらい勢いのある空振りだと誉められる。異常なセオリーで異常なことをして異常な勝ち方をするんだと独自の野球に励み日暮里の中心で甲子園出場を叫んでいるのである。
選手ひとりひとりへのインタビューが実に興味深い。さすが開成と唸ってしまうユニークな男子たちは潔く愛らしい。彼らの言葉は野球を越えて日常生活や人生にフィードバックされているようだ、と著者も記しているとおり禅問答さながらの会話が続く。
これが弱者の兵法なのかと思われがちかもしれないが下手は下手で勝つ!という確固たる信念を持てること自体、すでに弱者ではないよね?
「野球の概念」から激しく外れている開成の野球はドサクサな進化をし続けて欲しい。
選手たちと真摯に向き合う著者の優しさ溢れる文体だからこその傑作とチカラをこめて言おう。
- 『ある男』木内昇 (2012年10月11日更新)
- 『戦死やあわれ』竹内浩三 (2012年9月6日更新)
- 『深い疵』ネレ・ノイハウス (2012年8月9日更新)
- 銀座・教文館 吉江美香
- 創業127年を迎える小社の歴史のなかでその4分の1余に在職してるなんて恥ずかしくて言えやしないので5歳から働いていることにしてください。好きな人(もの)はカズオ・イシグロ、木内昇、吉田健一、ルーカス・クラナハ、市川左團次、UKロック、クリミナル・マインド、文房具、生け花。でもやっぱり本がいちばん好きかな。