『中二階』ニコルソン・ベイカー
●今回の書評担当者●銀座・教文館 吉江美香
<<「あたしぃ、よく『変わってる』ってって言われるんですぅ」という若いものに対して、私は自分が二十代のころから一貫して、能面のような顔で接してきた。>>
木内昇さんの初のエッセイ集『みちくさ道中』(平凡社)からの一文である。
「変わっている」、「不思議ちゃん」がアッピール材料になったのはいつ頃からだろう。
本当に変な人は自分が変わっているなどとはこれっぽっちも思っていないから、自ら告白することはないし周りも指摘しないはずだ。
「変」を主張するなら、ニコルソン・ベイカーの小説を越えるくらいの覚悟があって欲しい。
あるサラリーマンの男が昼休みに靴紐の替えを買いに行きビルの中二階にあるオフィスに戻る際に乗ったエスカレーターの数十秒間に頭に浮かんだ膨大な物事で一冊成り立っているという、相当に「変」な小説なのだ。
牛乳が瓶から紙パックに変わった時の衝撃やストローの浮き沈みに始まり、ミシン目の発明者を絶賛し、ホチキスの針にも蘊蓄は止まらない。日用品のひとつひとつに至るまで極小(ナノ)の解説と思い入れがこれでもかというほど詰まっている。
重箱(がもしアメリカにあればだが)の隅を突きまくって重箱を壊す勢いというかパラノイアに近い。
あまりに長い註釈はどうでもいいっちゃいいことにこだわりぬき、またこれがすこぶる面白いのだ。もしかしてベイカーは註釈書きたさに本文を組み立てたのではないかと邪推したくなるほどだ。
あらゆる物にこれほどはいり込んでいるにもかかわらず、語り手である主人公自身についての描写はほとんど登場しない。薄ぼんやりとした輪郭は見え隠れするものの客観的目線がずれることがないため、さらりと交わされてしまう。こと細かに語られる大量の物品から男の人物像を読み取ろうとする読者の思惑はそう簡単には叶えられない。ばかばかしいほどのミクロ思考にいつの間にかどっぷり浸り楽しんでいる自分に気づき、くすりと笑ってしまう。
そして何と言ってもこの破格な面白さは訳者である岸本佐知子さんの力によるところが大きいのは明らかだ。よくぞお訳しになられましたとひれ伏したい。岸本さんのエッセイ『気になる部分』(白水社)にも記されているが、ベイカーの『フェルマータ』(白水社)を含めて1年間ずっと彼の作品を訳し続けているのだ。
こんな変な小説を翻訳している岸本さんこそが「オレって変わってるって言われるんだよな」(口調は半分空想)とつぶやくに値するヒトなのである。(これって尊敬。念のため)
エレベーターで運ばれているあいだにここまで考えるわけない! というのは野暮というもの。「ロミオとジュリエット」だってたった5日間の出来事なのですから。
誰もがナニカ小さなひとつから思いもよらないところまでぶっ飛んでいくことがあるはず。男がエレベーターを昇り切って振り返ったそこには数十秒から溢れ出た極小のせめぎ合いが壮大なスケールで広がっている。
同じことやって変人を気取ってみようぜ!
- 『ぼくは勉強ができない』山田詠美 (2012年12月13日更新)
- 『弱くても勝てます』高橋秀実 (2012年11月8日更新)
- 『ある男』木内昇 (2012年10月11日更新)
- 銀座・教文館 吉江美香
- 創業127年を迎える小社の歴史のなかでその4分の1余に在職してるなんて恥ずかしくて言えやしないので5歳から働いていることにしてください。好きな人(もの)はカズオ・イシグロ、木内昇、吉田健一、ルーカス・クラナハ、市川左團次、UKロック、クリミナル・マインド、文房具、生け花。でもやっぱり本がいちばん好きかな。