『Iターン』福澤徹三

●今回の書評担当者●銀座・教文館 吉江美香

「上司にしたいタレントランキング」云々という話題を時々耳にする。
「上司にしたい小説の主人公」を投票する機会はないのかな~。誰が何と言おうと(言わなくても)福澤徹三『I(アイ)ターン』(文春文庫)の狛江に是非一票を投じたい。

 中堅広告代理店の課長・狛江は栄転とは名ばかり、リストラ前のプロセスとして支店長の命を受け北九州にとばされる。
 47歳のイマイチな男が同僚にも家族にも邪険にされ赴任する侘しい冒頭のくだりからもう目が離せない。これから先、トンデモナイことが彼に降りかかることが必至の舞台の幕開けなのである。

 慣れない土地での不平不満をぐっと堪え、なんとか業績を上げて東京へ戻るぞと鼻息荒く小倉に乗り込むがたった2人の部下はがっかりするほどののんきモード。印刷工場とのちょっとしたいざこざがきっかけで怒涛の展開となる。
 地元で対立する2つの組から睨まれるわ、何百万円もの借金は背負うはめになるわと、あれよあれよという間にあわわな状況に追い込まれていく様子が危機感いっぱいでありながらコミカルに描かれていく。セリフのひとつひとつが臨場感にあふれ、ページから飛び出すほどの勢いだ。

 なんと言っても狛江はどんなときでも自分が矢おもてに立ち、部下のミスを責めたりしない。そこが抜群に魅力的だ。
 出社前に組事務所に入り込み、拳銃まで登場し死ぬか生きるかの抗争に巻き込まれ命からがら逃げだすも途中で豚骨ラーメンを平らげ(この瞬間に苦手を克服!)顔は変形、血みどろ姿で会社にたどり着き、
「ちょっと野暮用で・・・」と言うサラリーマンが狛江のほかにどこにいるというのだ?!
 なんの因果か組事務所の<当番>まで引き受けることになり(このへんの過程、大笑い)その世界の裏を垣間見て、全てが誉められることではないにしろ意外にも理路整然とした組織や筋のとおったやり方に納得する狛江は自分でも気づかぬうちに変わっていく。
 サラリーマンの無意味なプライドや傲り、虚栄と欺瞞に満ちた会社の方針にへつらっていた自分に嫌気がさし、若干の開き直りも含めて<カッコイイ男>になっていくのだ。
 会社や上司に媚びることなく、自分は懲戒解雇で結構、でも、「おれの部下を首にしやがったら、一生かかってでも追いつめて、ぶち殺してやる」と姑息な手段で出世した激しくいけ好かない同期上役の顔面に強烈パンチをくらわすシーンに拍手を送ろう!

 人間は誰でもいつも疑問を抱えて生きているはずだ。
「自分はこれでいいのか。こんなはずじゃなかった。この程度だったっけ。いや、この程度だよ。」と思案し続ける生き物なのだ。

 自分に欠けていたナニカをひっさげて東京本社へ戻る狛江にとっての「ターン」は帰京だけではない。「自分(I=アイ)」をどれだけ取り戻したかはこれから先の狛江の生きざまで証明されることだろう。
<勘弁してくれ>なオマケ付きで東京行きのぞみに乗った狛江の続編を読んでみたい。
 サラリーマン必読書!

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銀座・教文館 吉江美香
銀座・教文館 吉江美香
創業127年を迎える小社の歴史のなかでその4分の1余に在職してるなんて恥ずかしくて言えやしないので5歳から働いていることにしてください。好きな人(もの)はカズオ・イシグロ、木内昇、吉田健一、ルーカス・クラナハ、市川左團次、UKロック、クリミナル・マインド、文房具、生け花。でもやっぱり本がいちばん好きかな。