『そこに僕らは居合わせた』グードルン・パウゼヴァング
●今回の書評担当者●リブロ池袋本店 幸恵子
作者のパウゼヴァングは児童文学作家。本書は、彼女が実際に聞いた、あるいは実際に体験したエピソードを元に書かれた短編集である。
ナチスの思想が浸透し、人々がそれに否応なしに呑み込まれていった時代。市井の人々は、何を考え、どのように行動していたのだろうか。
ナチスにより連行されたユダヤ人家族の家に残されていた、まだ温かい食事(ついさっきまで準備をしていたものだ)を、「いただきましょう」と云って子どもたちと食卓に着く母親。
終戦後、戦時中に自分がしてきたことを悲しくも正当化しようとする者。
すばらしいと信じていたものが、偽りであったことを知る子ども。
幼いころからの友人との約束を、ナチスよりも優先し守ろうとする者。
何が本当に強く優しい手本なのかを語る祖母。
パウゼヴァングは、ナチスの思想を無邪気に信じていた人々一人一人が、その狂気を作りあげていった一部なのであると語り(実際、彼女自身も愛国少女であったと述べている)、安直に愚行を誰かのせいにしたり糾弾したりなどしない。
ここで語られる話は、人間が集団になったとき生まれる狂気の話なのだ。
これらの物語(しかし、純粋なフィクションではない)が子どもの視点から綴られることにより、善人の顔をした人々の恐ろしさや、弱さ、残酷さ、優しさがはっきりと浮かび上がる本書は、パウゼヴァングが願うとおり「語り伝える」のに格好の書物になっている。読者は、自ずと彼女の声に耳を傾け、考えることをし始めるに違いない。
そうして考えるとき。空恐ろしいことに気がつく。
人間は狂気が生み出す愚行とか過ちと呼ばれている事をこれまでもずっと続けてきたし、当然これからも続けて行くであろうことが、「語り伝え」られてきた数多の歴史や本がそれを証明しているではないかと。(いまこうしている時にも、世界のあちこちで想像も出来ないような悲惨な出来事が起こっているのだ)
どうやら人間は自分たちが考えている以上に愚かな生き物なのだ。
語り伝えても、語り伝えても、愚行を重ね続ける、なんて愚かな人間たち!先人の言葉に耳を傾けても、現実が変わらないのだとすれば、その悲惨さを語り伝えてきた人々の声は無駄なのであろうか。
そうしてもう一度考える。
人間の愚かさはもちろんだが、同時に、愚行を目の前にしたときに、自分を(そして他人を)助けることが出来るのは、己がどのような精神を持ち合わせているかである、ということも語り伝えられてきたではないかと。
であるならば、これからも、微力ながら、私は本を読み、他の人の悲しみと喜びに耳を傾け続けようではないかと。
知らない世界の、信じられないような話は、現実の私たちに直接つながっている。
- 『性悪猫』やまだ紫 (2012年7月27日更新)
- 『逃避めし』吉田戦車 (2012年6月28日更新)
- 『GENGA - OTOMO KATSUHIRO ORIGINAL PICTURES』大友克洋原画展 実行委員会 (2012年5月24日更新)
- リブロ池袋本店 幸恵子
- 大学を卒業してから、大学の研究補助、雑貨販売、珈琲豆焙煎人、演劇関係の事務局アシスタントなど、脈略なく職を転々としていた私ですが、本屋だけは長く続いています。昨年、12年半勤務していた渋谷を離れ、現在は池袋の大型店の人文書担当。普段はぼーっとしていますが、自由であることの不自由さについて考えたりもしています。人生のモットーはいつでもユーモアを忘れずに。文系のハートをもった理系好きです。