『佐渡の三人』長嶋有

●今回の書評担当者●リブロ池袋本店 幸恵子

 芥川賞作家にして大江健三郎作家、長嶋有の最新刊、連作長編小説である。
 表紙には、アラーキーこと荒木経惟による入魂(したのかどうかはわからないけれど)の筆が踊っている。装幀は名久井直子。

 文章は自体はたいへん読みやすく、さらりとしている。書かれているのは、家族の納骨にまつわる話である。と、言ってしまえばまあそれだけなのだが、本作の読みどころは、時におかしみを誘う独特の視点によって書かれた登場人物の関係性である。

(家族なのに)こじれた感情も贔屓目もなく、すこし俯瞰したところから観察するかのように書かれた人間関係から物語が立ち上がってくるさまにドキドキすることしきり。優れた観察眼が紡ぎ出す小説の豊かさがあちらこちらにぎゅぎゅぎゅぅと詰まっていて、それを一見飄々とこなしているように見える作者の技量を思うと、ゾクッとするほどだ。

 また、作者本人と、作者自身が投影されている「物書き」の主人公・道子のメタ的な関係も読みどころとしてはずせない。

 たとえば連作最後の「旅人」において。佐渡にある納骨先の寺の住職が、不意に「『佐渡の三人』読んでます」と道子に言うシーンがある。このことが示しているのは、現実(小説が書かれていること)と虚構(書かれた小説)の世界が小説の中で共存しているということである(この箇所以外にも、過去の長嶋作品を道子が書いている風な箇所があったり、道子の親族も作者の家族を連想させるものがあったりもする)。そして、我に返れば、この『佐渡の三人』という単行本=本書を読んでいるわたしがいる時間軸も当然ある。このぐんにゃり感からくる感動はいったいなんなんだ。(ちなみに他の長嶋作品でも、同じように現実が小説に反映されているものがあったりする)
 
 また、この作品群は、6年もの歳月の中で書かれている。ほぼ2年毎に書かれた各作品を読み進むにつれ、作家の変化を味わうことが出来たのも愉しかった。

 斯くして。
 わたしにとって『佐渡の三人』は、自由でへんてこりんなことが可能である「小説」というものを、これからもずっと愛し続けていくだろうと思わせてくれるいとおしい作品であり、現在のところ長嶋作品の個人的ベスト作。小説ならではの表現の魅力がいくつも重なりあっていて、あたかも大好物ばかりで、もちろん味付けもばっちりの幕の内弁当のようであった。

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リブロ池袋本店 幸恵子
リブロ池袋本店 幸恵子
大学を卒業してから、大学の研究補助、雑貨販売、珈琲豆焙煎人、演劇関係の事務局アシスタントなど、脈略なく職を転々としていた私ですが、本屋だけは長く続いています。昨年、12年半勤務していた渋谷を離れ、現在は池袋の大型店の人文書担当。普段はぼーっとしていますが、自由であることの不自由さについて考えたりもしています。人生のモットーはいつでもユーモアを忘れずに。文系のハートをもった理系好きです。