『スピンク合財帖』町田康
●今回の書評担当者●リブロ池袋本店 幸恵子
「他の人と共有していない笑い」というものは不気味なものである。
街角で、ひとりでクスクス笑っている人や、誰に対するでもなく大声で笑っている人を見かけ、「なにやら怪しい人だ」と、思わず身を退いた経験をお持ちの方は、少なからずいらっしゃるのではないか。そう、どうやら、人がひとりで笑っている姿というものは、その笑いの要因を理解していない他人からすると、奇異なものとして映るものらしい。
故に、喫茶店でナンシー関の本を読み始めたら、どうにも笑いが止まらなくなり、このままでは怪しい人になってしまう(いやもうすでになっている)と、本を抱えダッシュで家まで帰り、その後安心して笑いながら読んだという経験をしたことのあるわたしは、「これはまずい」と思った本に出会した時には、できるだけ「まっすぐ家に帰る」ようにしている(もちろん、早く読みたい誘惑に負けることがしばしばであることは言うまでもない)。
というわけで、町田康のスピンクもの第二弾『スピンク合財帖』が、この秋めでたく刊行となった。第一弾である『スピンク日記』を読まれた方ならば、わたしが、ささっと購入し、そそくさと家路を急いだ理由もご納得頂けるであろう。理由は他でもない。このシリーズを読むと、どうにも頬がゆるみ、おかしさのあまり本に顔を突っ伏して笑ってしまうため、他人様に怪しまれること必死だからである。
本書の書き手は、スタンダードプードル(5歳)の雄・スピンク。書かれているのは、主人のポチ(町田康)、美微さん、スピンクの兄弟のキューティー、ミニチュア・プードルのシード、たくさんの猫さんたちとの生活。
そして、このスピンク。なかなかの文章の腕前の持ち主である。喩えやオノマトペも上手く使いこなし、語彙も豊富でその選び方も的確。さすがは、ポチ=町田康と一緒に暮らす犬であると、感心することしきりである。
しかもこのエッセイ。犬たちが愛おしく可愛らしいのはもちろんだが、この本の中で本当に一番可愛らしいのは、主人のポチである。人間の莫迦莫迦しさを見つめるポチの視点は、時にシニカルでもあるが、厳しくも優しく、何故か笑いに包まれている。
そしてまた、このエッセイには、そういった可笑しさだけではなく、町田康の「猫にかまけて」シリーズ同様、人間のエゴエゴさに身につまされる話もある。スピンク兄弟と共に生活することになるシードがポチ家にやってくる条などは、普段何も考えずのほほんとしているわたしにも、一考することを迫ってくる。
しかし、ユーモアがあれば、人生(もちろん犬生も)なんとかやっていけるものである。逆にユーモアが無ければ生きていけない。わたしはそう思っている。本書を読んで、さらにそれは確信となった。
わたしは、この本を読み返すたびに、ほくほくと微笑むのであろう。
そう、まるで、あの『吾輩は猫である』を読むときのように。
- 『佐渡の三人』長嶋有 (2012年10月25日更新)
- 『ピダハン 』ダニエル・L・エヴェレット (2012年9月27日更新)
- 『そこに僕らは居合わせた』グードルン・パウゼヴァング (2012年8月23日更新)
- リブロ池袋本店 幸恵子
- 大学を卒業してから、大学の研究補助、雑貨販売、珈琲豆焙煎人、演劇関係の事務局アシスタントなど、脈略なく職を転々としていた私ですが、本屋だけは長く続いています。昨年、12年半勤務していた渋谷を離れ、現在は池袋の大型店の人文書担当。普段はぼーっとしていますが、自由であることの不自由さについて考えたりもしています。人生のモットーはいつでもユーモアを忘れずに。文系のハートをもった理系好きです。