『ことり』小川洋子

●今回の書評担当者●リブロ池袋本店 幸恵子

 一冊の本がある。
 ページをめくる。そこには、わたしがまだ出会ったことのない何かが書かれている。そして、時に本は、そこに記された文章には書かれていない何かを、わたしに気付かせてくることがある。記されなかった何かにわたしの心が騒ぎだすことがある。

 小川洋子さんの最新作『ことり』は、メジロが入った竹製の鳥籠を抱いて亡くなった、小鳥の小父さんの一生を綴った物語だ。

 小父さんには、十一歳の時に誰にでも通じるごく当たり前の言葉を話すことをやめ、独自のポーポー語を話すようになった七歳上のお兄さんがいる。お兄さんのポーポー語は、小鳥のさえずりのように、話す音はあるが、文字はない。その言葉は、お兄さんと小父さん、それからたぶん小鳥にしかわからない言葉で、意思疎通のできない母や父、周囲の人たちを困惑させる。お兄さんは、小鳥のさえずりは、僕たちが忘れてしまった言葉なのだと小父さんに語り、小鳥の愛の歌であるさえずりに耳を傾ける。
 ふつうの言葉で構築された世界からはずれた時間を、小父さんとお兄さんは小鳥たちと過ごす。

 お兄さんが静かに亡くなった後、ひとりになった小父さんは、お兄さんと通い眺めていた幼稚園の鳥小屋の世話をするようになり、様々な人と出会い、つながる。しかし、そのつながりは、小父さんに幸せの時間を与えると同時に、別れや嫌疑を与え、傷つけ、思わぬ方向へ小父さんを連れ去ってしまう。
 わたしたちと同じふつうの言葉をも持つ小父さんは、世間の優しさと欲の間に揺れ、小鳥の声に耳を傾ける。

 この作品には、さまざまな孤独が潜んでいる。なかでも、人が誰かを求めるが故にかかえる孤独は、読む者の胸の深いところに迫り、そして孤独との向き合い方を問いかけてくる。しかし、その孤独と呼ばれるものは決して淋しいだけのものではない。
 読んでいる間、わたしは、読むことで湧き起こる孤独を感じていた。それは、本に寄り添いながら味わう透明な孤独の時間で、まるで、小父さんが小鳥とすごした時間のように、やさしい思いが満ちていく時間であった。

 小川さんは、その慈しむべき時間を、あたかもポーポー語のように、書かれることのない言葉によって書いている。たゆたいながら読者に語りかける、想像という力を携えた言葉だ。その言葉は、読者に思慮を与え、豊かさをもたらす。

 それこそ、小説の凄みそのものだと、わたしは思う。

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リブロ池袋本店 幸恵子
リブロ池袋本店 幸恵子
大学を卒業してから、大学の研究補助、雑貨販売、珈琲豆焙煎人、演劇関係の事務局アシスタントなど、脈略なく職を転々としていた私ですが、本屋だけは長く続いています。昨年、12年半勤務していた渋谷を離れ、現在は池袋の大型店の人文書担当。普段はぼーっとしていますが、自由であることの不自由さについて考えたりもしています。人生のモットーはいつでもユーモアを忘れずに。文系のハートをもった理系好きです。