第二十回 府中(静岡)-豊橋-伊良湖 その2

  • ルポルタージュ 台風13号始末記 (岩波新書)
  • 『ルポルタージュ 台風13号始末記 (岩波新書)』
    杉浦 明平
    岩波書店
    4,527円(税込)
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 前おきが長くなったが、十一月二日、新幹線で静岡駅へ。この日、大道芸ワールドカップが開催されていた。東海道をすこし歩いて引っ越しの手伝いをする。
 わたしが妻と結婚したのは二〇〇二年の秋で、それから静岡を行き来する機会が増えたのだが、訪れるたびに季候も温暖だし、海のもの山のもの、何でもうまいし、あと人がのんびりしていて(そうじゃない人もいるが)、いいところだとおもう。
 父はわたしが生まれる前までは神奈川県の川崎市の電気工場、そのあと浜松市にある自動車の工場で働いていた。その後、三重県鈴鹿市の工場に移った。
 川崎も浜松も鈴鹿も東海道の宿場町がある。
 翌日三日の早朝、妻は従姉妹夫婦と静岡に残り、わたしはひとりで静岡駅から新幹線で浜松駅に向かう。
 車中、藤枝静男著『愛国者たち』(講談社文芸文庫)を読んでいたら「山川草木」という作品にこんな一節があった。
《私は遠州に住んでいるが駿河生まれだから、この両方を流れる川に親しみを持っている。遠州灘に注ぐ天竜川、太田川、菊川、それから駿河湾に入る大井川、瀬戸川、安倍川と云った類である》
 電車に乗っているとき、川を見る。名前のわからない川がある。あとで調べようとおもっても、たいてい忘れてしまう。一年くらい前からわたしは安倍川と大井川のあいだの川が気になっていたのだが、調べずにいた。今回の移動で瀬戸川だったことがわかった。焼津駅の近くに河口がある川だ。たしか焼津もヤマトタケル絡みの地名である。
 浜松から豊橋までは快速に乗る浜松-豊橋間は電車の本数も多い。新幹線で行くより安くすむし、それほど時間もかからない。
 JR東海道線(在来線)の弁天島駅から新居町駅の景色は何度見ても素晴らしい。海のそばを走るのもいい。水の上を走っているかんじがする。
 午前十時四十五分、JR豊橋駅で豊橋鉄道渥美線に乗り換え、新豊橋駅から三河田原駅へ。豊橋鉄道は田原街道に沿って走っている。
 渥美半島には地域の食材をつかった丼を出す店による「渥美半島どんぶり街道」がある。またしても司馬遼太郎先生の知らなかったであろう街道を見つけてしまった。
 二年前に鳥羽から伊良湖岬に船で渡って東京に帰ったのだが、今回は逆のルートで三重に帰る予定だ。
 木山捷平著『新編 日本の旅あちこち』(講談社文芸文庫)に「伊良湖岬――愛知」という一篇が収録されている。
《帰途、われわれは伊良湖岬の麓にある伊良湖港から船にのって、三島由紀夫の『潮騒』で有名な神島を左に眺めつつ、対岸の三重県鳥羽にわたった。鳥羽からかえりみると、伊良湖は一つの島のように見えた。万葉時代は伊勢の国の内であった事情ものみこめたような気がした》
 三重県民にとって伊良湖は古の故郷でもあるのだ。前に伊良湖に行ったとき、母方の郷里の伊勢志摩と干物の味が似ているとおもった。言葉も似ている気がする。
 午前十一時二十八分、豊橋鉄道渥美線の三河田原駅からバスで伊良湖岬へ。フェリー乗り場まで行く予定が、途中で気が変わって「梅薮」という信号のところで途中下車した。
 田原街道をすこし歩いて、伊良湖神社に寄ろうとおもったのだ。
 十二時三十分、田原街道を南西に歩くと「伊良湖岬3km」の看板が見える。オイルコンパスを見ながら南西方向に向かって歩く。歩道は草が膝くらいの高さまで生えていて歩きにくい。草をよけると車が怖い。
 渥美半島は一九五三年の伊勢湾台風のときに大きな被害を受けた土地で、田原町の町長だった作家の杉浦明平は『ルポルタージュ 台風十三号始末記』(岩波新書、一九五五年)という本を書いている。杉浦明平は『東海道五十三次抄』(オリジン出版センター、一九九四年)という街道本の著者でもある。
 杉浦は豊橋から伊良湖岬までの四十余キロにわたる国道二五九線を「二五九(じごく)街道」と呼んだ。この街道は夏の海水浴の季節に、観光客が押し寄せ、大渋滞になるそうだ。
 鳥羽行きの船は一時間に一本あるから十五時くらいまでに岬に着けばいいと大雑把な計算で歩いた。
 渥美半島、すごく温暖だ。十一月だけど、この日の気温は二十度以上あった。歩いているうちに汗をかく。のどが渇く。
 伊良湖神社北の信号、十二時四十四分。しかし神社の入口がわからない。勘で坂をのぼり、しばらく歩くと午後一時くらいに神社に着いた。
 同じ道を歩きたくなかったので、神社からすぐの急な階段をのぼり、サイクリングロードらしき道に出る。途中「伊良湖ビューホテル避難路」という看板があった。ちょっとした登山だ。
 サイクリングロードらしき道は、自分以外に歩いている人を見かけなかった。たまに自転車に乗った人とすれ違った。
 しばらくすると海が見えてきた。太平洋だ。
 ジクザグの長い階段(かなり急)を下って、日の出の石門に行く。子ども連れの観光客が何組かいる。一組の家族から写真撮影を頼まれる。写真を撮り終わると、もう一組の家族からも頼まれる。ひとり旅あるあるだ。
 日の出の石門近くに椰子の実記念碑があるはずなのだが見つからず。途中、通行止めになっていた道の先にあったのかもしれない。
 民俗学者の柳田國男が伊良湖岬に滞在中に見た椰子の実のことを島崎藤村に話し、それを詩にした。
「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ」
「椰子の実」は童謡にもなっている。それにしても藤村は中山道、北国街道、東海道、田原街道と街道に縁がある作家だ。
 記念碑は見つからなかったが、そのかわり「愛のココナッツメッセージ漂着記念」の看板があった。膝痛中年には厳しい階段を再びのぼり、サイクリングロードらしき道を歩く。
 前に鳥羽から伊良湖まで船で渡ったときは、恋路が浜や伊良湖岬灯台のほうを歩いたが、今回はフェリー乗り場にまっすぐ向かう。
 伊良湖のいのりの磯道はたくさんの歌碑が並ぶ文学街道でもある。伊良湖にも芭蕉句碑があるが、今回はその近くを通らなかった。
 ほとんど寄り道せずに歩いたせいか、伊良湖岬には予定より一時間ほど早く着いてしまった。道の駅伊良湖クリスタルボルトに十三時五十分着。
 十四時十分のフェリーに乗れそうだ。しかし、港で丼を食べている暇はない。ここまで朝から何も食べていない。食事は船でしよう。船に乗ってたこ焼きを食った。味? 想像にまかせる。伊良湖~鳥羽の航路は「しおさい海道」と呼ばれている。
 海は素晴らしい。船は最高だ。
 この感想は二〇一九年十月のときのものと付記しておく。