古書ビビビ 1/1

10月15日(木曜)

 北海道では初冠雪が観測されたと、朝のテレビが報じている。関東地方にも冷たい空気が流れ込んで、週末にかけて秋が深まるというので、久しぶりにスプリングコートを引っ張り出して街に出る。夏はあっという間に通り過ぎてしまった。

 午前11時、「古書ビビビ」のシャッターはすでに上がっている。開店まで1時間あるけれど、中を覗くと、店主の馬場幸治さんが掃除機をかけているところだ。

「前は開店10分前とかにきてたんですけど、最近は早めにくるようになったんです」と馬場さん。「5、6年前に売り上げがじわじわ落ちてきた時期があって、『このままじゃまずい』と。早く店に着いたからって、どうっていうわけじゃないんですけど、11時までには店にきて、新しく入ってきた本に値づけをしたり、ずっと売れてない本を値下げしたりしてますね。早くきても、何にもしないで雑誌読んでるだけの日もあるんですけど」

 普段は片耳にワイヤレスイヤホンをつけ、昨日放送されたラジオ番組をRadikoで聴きながら開店作業をすることが多いという。この日聴いていたのは『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』。オールナイトニッポンだけでも佐久間宣行、ナインティナイン、三四郎、そしてオードリーと4番組聴いており、わずかな時間を見つけては追われるように聴いている。お客さんがいないときは店内でラジオを聴いて過ごすこともあるという。

「今日はヒマかもしれないです」。外の様子を伺いながら馬場さんが言う。昨日に比べると肌寒く、午後には雨が降る予報も出ていた。「寒い日が続くぶんには大丈夫なんですけど、季節の変わり目に、急に寒くなるとお客さんが減りますね」

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 除菌スプレーとキッチンペーパーを取り出し、扉を拭く。ドアノブだけでなく、扉全体を念入りに拭く。営業中は扉を開けっぱなしにしてあるけれど、お客さんが触れるかもしれないところは念入りに磨いている。ひととおり作業を終えると、11時37分には「もう開けちゃおうかな」とシャッターを上げ、傘立てを出し、音楽をかける。昨日もこのアルバムが流れていたのだろう、世田谷ピンポンズの『H荘の青春』が途中から再生される。最初に聴こえてきたのは「グッドモーニング」だ。

 お店を開けると、すぐに最初のお客さんがやってくる。馬場さんは「いらっしゃいませ」と声をかけながら、扉にかかっていた「CLOSED」のプレートを外す。お客さんがやってくるたびに、馬場さんは「いらっしゃいませ」と声をかける。

「たぶん、前の店舗をオープンした時から全員に声かけてます。あえて声をかけない古本屋さんもあると思うんですけど、もう習慣になっちゃって。前の店舗は今より狭くて、ちょっと怪しげな雰囲気だったから、入りにくさもあったと思うんですよ。お客さんと一対一になることも多かったから、『敵じゃないですよ』って、『どうぞごゆっくり』みたいな感じで、声かけるようにしてますね」

 開店作業を終えると、通販の発送作業にとりかかる。本の状態が悪くならないように、ぷちぷちでしっかり梱包する。その上からさらに、配達の過程で衝撃が加わっても角が折れないようにと、四つの角にはもう一重にぷちぷちをあてる。「絶版漫画を買い集めてたときに、通販で買った古本がぐちゃぐちゃな状態で届くとむかついてたんですよ。だから、お客さんにそう思われないように、なるべくきれいな状態で届くように発送してますね」と馬場さんが教えてくれる。

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 ここ半年、通販の注文が増えた。前から通販サイトを作っていたけれど、緊急事態宣言が出されて以降、通販で注文してくれるお客さんが増えたという。

 4月13日、東京都は緊急事態宣言に伴う措置として、休業を要請する施設を発表した。古本屋は「基本的に休止を要請する施設」に分類されていた。ただし、休業要請の対象となるのは1000平米を超す古本屋で、1000平米以下の古本屋は「休業への協力を依頼」、100平米以下の施設については「営業を継続する場合にあっては、適切な感染防止対策の徹底を依頼」とされていた。「古書ビビビ」は約70平米で、営業を継続することもできた。

 東京都は4月15日の夜に再び会見を開き、休業要請の対象となる施設のうち、要請に応じたものには「感染拡大防止協力金」を支給すると発表した。100平米以下の古本屋でも、感染拡大防止のため休業した店舗には協力金が支給されるという。

 4月に入ってからは客足が落ち込んでいたこともあり、営業継続か臨時休業か、馬場さんは短い時間で判断を迫られることになった。ただ、いつから休業すれば給付の対象となるのかを含めて、不明な点が山のようになった。翌朝、馬場さんは疑問を解消しようと、感染拡大防止協力金相談センターに電話をかけた。

「何回かけても電話が繋がらなくて、あの日はめちゃくちゃ電話しました」。馬場さんはそう振り返る。3時間近くかけてようやく繋がり、コールセンターの担当者に疑問点を確認した。店舗を閉じていれば、通信販売をおこなっても協力金は支給されること。出張買取をおこなった場合は、お客さんとの接触が生まれることから、協力金が支給されない可能性があること。仕入れた情報を、馬場さんは随時ツイッターで発信した。あのとき、馬場さんがツイートしていた「500回くらい電話すれば繋がりますよ」という言葉が、とても印象に残っている。

「最初の何日かはツイッターで発信してたんですけど、センターに電話が繋がっても、担当者によって答えが違うこともあって。だから『僕が電話したときはこう言われました』ってことだけ書いて、あとはもう、楽しくしよう、と。たぶん皆も滅入ってるだろうから、『古本屋が何やってんだ』と言われるようなことをやろうと思って、急にくだらない動画を上げ始めたんです」

 臨時休業に入ると、馬場さんは「リモートビビビ」と名乗り、通販専門の古本屋として営業を始めた。学生時代に映画制作サークルに所属していたこともあり、4月22日からは営業開始時刻に開店動画をアップするようになった。

「あの時期、政府とかも急に『リモートワークを活用してください』とか言い出して、その『リモート』って響きが変だなと思ったんですよね。その言葉を楽しんでやろうと思って、通販専門店を立ち上げましたみたいな感じで、『リモートビビビ』と名乗り始めたんです。あの時期に、漫画の本棚をアップしたら、想像の10倍ぐらいお買い上げいただいて。夏葉社さんの本のジャケット集みたいな動画を作ったときは300回近くリツイートされて、50冊以上売れたんです。それだけで普段の数日ぶんの売り上げになったので、めちゃくちゃ助かりましたね。ツイッターがあってよかったなと思います」

 馬場さんは臨時休業期間中も毎日12時にはお店にきて、日が暮れるころまで仕事をしていた。妻の和子さんから「ちゃんと店で仕事してください」と言われて、いつもと同じように店に出勤していたのだ。

「奥さんはもう、僕が怠けるのを知ってるんで、家にいるとずっと本を読んだり、バラエティ番組観たりして過ごすだろうなと思ったんでしょうね。店に行かないと勘が鈍るから、『ちゃんと開店時間には店に行ってください』と。だから、いつもと同じように店にきてたんですけど、やっぱり普段と違うんですよね。普段はお客さんがいつ入ってくるかわからないって緊張感がありますし、お客さんの様子をずっと見てるわけじゃないですけど、感覚の使い方が違うんですよね。臨時休業中だとそういう緊張感はなかったので、疲れたら床に寝そべって、好き勝手やってました」

 臨時休業期間中、馬場さんは夕方になると駅前にあるスーパーマーケット「オオゼキ」に毎日通っていた。茶沢通りを越えて、北沢タウンホールを抜け、「オオゼキ」に向かう。その道中に「ほん吉」という古本屋さんがあり、緊急事態宣言の期間中にも営業を続けていた。それを目にするたび、馬場さんはどこか心苦しさをおぼえた。

「そこを通るたびに、『ほん吉さん、頑張ってるなー』と思って、胸が痛くなったんです。もちろん、営業するか休業するかはそれぞれの判断なんですけど、『ほん吉さん、頑張ってるなー』っていうのがどんどん響いてきて。ただ、まだ営業を再開できるような状況ではないような気もしてて、『東京都の新規感染者が何人以下になったら再開しよう』と奥さんとも話してたんです」

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 5月6日までの予定だった緊急事態宣言は延長されることになり、東京都からは引き続き休業要請を求める方針が発表された。5月7日以降も休業すれば追加で協力金が給付されるが、6日まで休業すれば第1期の協力金は支給されるという。

 営業再開か、休業継続か――悩ましい日が続く。5月7日以降、東京都の新規感染者数は40人以下の日が続いた。「営業を再開します」と大々的に告知して人を招くのには抵抗があったけれど、すぐ近くの「ほん吉」と「古書ビビビ」が2軒とも営業していれば、「ほん吉」が密になりそうなときは「古書ビビビ」に、反対に「古書ビビビ」が密になりそうなときは「ほん吉」にとお客さんを誘導できるだろうと馬場さんは考えた。入り口にアルコール消毒スプレーを設置し、釣り銭用トレイを2個に増やし、帳場にビニールカーテンを設置して、「古書ビビビ」の営業を再開する。

「あのときはもう、お客さんが入ってきただけでも応援してもらえているような感覚で、すごい嬉しかったのをおぼえてますね。『うちのこと、忘れずにいてくれたんだな』と。ただ、お客さんとあんまりしゃべっちゃいけない空気だったから、心の中で『ありがとうございました』って言ってました。その感覚は、お店を創業したときに初めてお客さんがきてくれたときとも違うんです。お客さんのほうでも、『今、お店に行って大丈夫なのか?』って不安を抱えているであろうなかで、本が好きできてくださる方もいれば、『ビビビは今、困ってるだろうから、応援してあげよう』って気持ちできてくれた方もいたと思うんですよね。あの時期はほんとに嬉しくて――もちろん今でもお客さんがきてくれると嬉しいんですけど――お客さんが光ってるように見えました」

 店で仕事をしながら、馬場さんは時折ツイッターを更新する。夕方になって、「古書ビビビ」のアカウントでNHKニュースがリツイートされた。そこには「東京都 新型コロナ 新たに284人感染」と書かれていた。

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「なんか、全然どうにもなってないですよね」。そうつぶやく馬場さんに、返す言葉が浮かばなかった。緊急事態宣言が出ているあいだ、一番多かったときでも4月17日の206人で、それを大幅に上回る数字だ。でも、そんな数字にも慣れてしまったのか、街には人が溢れている。ただ、街から人が消えたままだと、お店は立ち行かなくなってしまう。考えれば考えるほど言葉が浮かんでこなくなって、そわそわしながら入り口に向かい、手をもう一度アルコール消毒しておく。

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