第3回 お茶のあゆんできたみち
お茶の話第二歩目、お茶の歴史。
となったらどうしても思い出してしまうのが「中国云千年の歴史」というやつ。お茶の場合は、え~とB.C.3000年くらいからだから......5000年の歴史!!
最初は薬用からはじまったお茶、そこから食用、飲用、と今の私たちからすると思いも寄らない寄り道人生。とくに食用挟むところとか......おちゃっぱも苦労してきたんですね。
まずは、苦菜、という薬草の一つだったお茶。
前漢の時代に、王褒さんが書いた「僮約」という書物に
「烹荼尽具、武阳买荼」
という記述が。「僮約」は、召使いのお仕事覚え書き、みたいな本。これは、「道具でお茶を煮ること、武陽にお茶を買いに行くこと」という意味。つまり、この頃にはお茶はちゃんと生産、販売されるほどになっていたということ。
でも、気づきました?
「荼」という字、微妙に違うんです。この頃は未だ漢字が確定していなくて、いろいろな字を使っていたんですって。
最初に「茶」という文字が現れたのは、唐の時代。字が出来た、ということは、そのものとしてしっかり確立したということ。
お茶にお茶としてのアイデンティティをもたらして下さったのは、お茶界のアイドル、我らが陸羽様です。世界初、史上初のお茶専門書「茶経」を記し、しかもその内容がとっても素晴らしかったから、今でも「茶聖」と呼ばれてもてはやされております。
陸羽様がご活躍なさったのは、西暦733年~804年。
孤児として生まれ、お寺に預けられるも12歳で家出。旅回りの一座で中国を経巡る中、浙江省でお茶と出会います。陸羽様、運命の出会い......!!
28歳で初稿を、そこから書き足し書き足しできあがった、三巻十章からなる歴史的ベストセラー「茶経」。
書き出しは
「茶者、南方之嘉木也(南の方に、お茶って良い木があってさ)」
お茶の樹について熱く語り、製茶器具を説明し、どうやって飲んだらいいか、史料の列記、そして親切にも「これこれの道具は、まぁ、なくてもOK」まで。世界最高のお茶オタク、陸羽様、かく語りき。
陸羽様がいなかったら、今の世で私たちがお茶を楽しむこともなかったかもしれない。だから、お茶好きにとって、陸羽様は永遠の心のアイドルなのです。
こうして中国で愛されてきたお茶は、やがて世界へ。その際通ったルートにより、世界には二種類のお茶の呼び方があるそうです。裏を返せば、世界中どこでも、お茶はこの二種類の呼び方。
海ルートで伝わった場合は、TEY。英語のTEAや、フランス語のTHE、です。これは厦門の方言。
陸ルートで伝わった場合は、CHA。日本の茶、インドのチャイ、アラビアのシャイも(日本には海渡って来たはず、というつっこみもありますが、まぁ世界規模で考えたら日本海なんて陸続きみたいなのかもしれません)。
日々お茶を楽しめる幸せ、そしてそのために費やされた長い長い時間と、たくさんの人に感謝を捧げつつ、今日もお茶を一献。