第23回 ティーブレンダー熊崎俊太郎さんに聞く、紅茶の豊かな世界[前編]

今回は、ゲストにティーブレンダーの熊崎俊太郎さんをお招きした特別編。SF好きだったことが縁で池澤さんと知り合ったという熊崎さん。ティーブレンダーという仕事、紅茶とコーヒーの違い等々、紅茶一筋に歩いてきた熊崎さんならではの、深くて刺激的なお話をうかがいました。


◎ティーブレンダーって何?

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池澤 熊崎さんとは以前からおつき合いさせていただいていますが、あらためてお茶についてお話をうかがうのは初めてですね。熊崎さんはティーブレンダーというお仕事をされているんですよね。
熊崎 はい。ティーブレンダーはごく簡単に言うと----〝お茶を混ぜる仕事人〟です。もともとは紅茶を混ぜる機械のことをティーブレンダーと呼んでいたんですが、人間に対してこの言い方をするようになったのは、わりと最近のことのようです。それ以前は紅茶の専門家をティーテイスターと呼んでいました。お茶を鑑定して値段をつけたり、最適な売り先を決める仕事ですね。ようはお茶の目利き。
池澤 中国茶で言うところの評茶員(*1)ですね。
熊崎 そうですね、評茶とおなじです。昔はお茶を評価さえできればよかった。ところが19世紀、20世紀、21世紀と、時代が現代に近づくと、商売として喫茶の世界が広がっていきます。それに従って、ただお茶を評価するだけでは立ち行かなくなってきたわけです。19世紀になると、西洋でもお茶はすでに輸入作物として確立していたんですが、まだ届くものごとに味が違っていた。味にバラつきがあった。
池澤 「あの紅茶がおいしかったから、また」と取り寄せたら、味が違う?
熊崎 そう。でも西洋的発想でいえば、輸入作物といっても商品である以上、いつも同じ味でなきゃいけない。
池澤 中国茶はそこが違っていて、「この人が作ったお茶にはもう二度と出会えない」というのが基本。だから「出会えるこの機会を大事にしよう」と考えます。大事にしすぎて値段がすごいことになる場合もありますが(笑)。
熊崎 そうですね。一期一会、のような東洋的発想の良い部分ですよね。紅茶について整理すると、お茶を「売るために鑑定さえできればいい」というところから始まって、「ブランド商品として確立」させ、「喫茶というサービス」を提供する時代に移った。そこではいつも同じ味、同じ値段でお茶を提供しなければならない。そのために、お茶を調合する必要が出てきた。鑑定ができれば、調合も容易にできますよね。そこではじめて、ティーテイスターがティーブレンダーになった、という流れですね。そこからさらに時代が進むと、今度は「自分たちだけのオリジナルブレンド」とか「このお菓子にぴったりなお茶を」という形で、より細分化したものが求められるようになっていく。21世紀に入ってからは、新しい味を作るのがティーブレンダーの主な仕事になりました。
池澤 つまり、「ティーブレンダーである」ということは、同時に「ティーテイスターでもある」ということなんですね。
熊崎 そうです。もともとティーテイスターの職能は、ある程度ヨーロッパで確立していて、彼らはブレンドもやっていました。けれども、現代に近づくにつれて品質を安定させて、新しい味を作り出す能力がより求められるようになった。そこから、この二つの仕事をこなすティーブレンダーという職業が確立したんです。


◎コーヒーと紅茶の違い
池澤 熊崎さんがティーブレンダーをめざそうと思われたのはいつ頃ですか。
熊崎 そもそもの発端は小学生の頃でしょうか。うちの実家がクラシックバレエのスタジオでして、ありがたいことにお歳暮とお中元で紅茶を多く頂戴する家だったんです。そこで送られてきたいろんなお茶を片っ端から飲んでたんですよ。そのときに「紅茶は自分の肌に合う」と気がついた。当時もラベルを見ながらお茶を淹れていたので、今でもそのラベルを見るとそのお茶の味を思い出します。
池澤 味と香りとラベルの見た目と、いろいろなものがセットになったお茶の世界が、記憶の中に刻まれたと。
熊崎 そうですね。しかも中学生時代は電車通学だったんですが、帰り道に銀座があって御茶ノ水があって神保町があるという環境。このあたりはお茶を楽しむ文化の中心。「さあどうぞお茶の道に進んで下さい」と言わんばかりでしょ(笑)。いつも喫茶店に入り浸ってました。当時は喫茶店のマスターが憧れだったんです。難しい顔をして本を読んだり、好きな音楽をかけたり、自分のこだわりの空間で「わかる人だけ来てくれ」という感じで仕事をしている。そういうおじさんたちに憧れて、自分でもお店で働いてみたいと思いました。それを真似て、学校の音楽準備室や社会科資料室で遊びで喫茶店を作ったりもして。
池澤 でもコーヒーには行かなかったんですね。
熊崎 コーヒーも好きでしたよ。ただ、最終的に自分でやるのは紅茶だという直感があったんです。
池澤 それはなぜでしょう。コーヒー好きな人、紅茶好きな人、それぞれいますけど、どちらも同じくらい好きな人ってあまりいませんよね。
熊崎 私個人にかぎって言えば、自分がいろんなものに興味をもつタイプだからでしょうね。コーヒーは、カップの内側に精神を集中していく、一点に集約していく世界のように感じます。ところが紅茶は違う。淹れること自体に対して、あるいは淹れた紅茶そのものに対して、実はそれほどこだわりを持つ必要はないんです。それよりも、たとえばフラワーアレンジメントとかテーブルコーディネートとか、別の世界と組み合わせる楽しみが大きい。紅茶はカップの外側の世界へ開いていくんです。
池澤 コーヒーは男性的ですよね。一点に入り込んでぐっとこもっていく。
熊崎 コーヒーの専門書を読むと、書かれているのは主に技術的なことです。いかに豆を選ぶか、いかに理にかなった抽出をするか。要するに終着点があって、ありとあらゆる手練手管でそこへたどりつくのが面白いと。書いてる人もそこに面白さを感じているように思えます。
池澤 コーヒーは山登りみたいだって思います。みなさん、頂上を目指してそれぞれいろんな登り方をされます。ただ、山の人って仲間とは一緒でも、基本的に黙々と自分一人で登って行く感じですよね。
熊崎 求道的ですしね。紅茶はどちらかと言うとピクニック的。
池澤 そう。みんなでワイワイ話したり、寄り道をしたり。思わぬところへ出ちゃったけど、ここはここでいいね、みたいな。
熊崎 ええ。ですから、紅茶については、フラワーアレンジメントやお菓子、テーブルコーディネート、食器のコレクター、そういう別の専門家が書かれた紅茶についての文章の方がより面白味があります。私にとっては、紅茶の魅力は「カップの外の世界」とのつながりにあるんです。
池澤 文化的な要素も紅茶の大きな楽しみですよね。
熊崎 そうですね。実際、ヨーロッパで紅茶が発展した背景には、「しつらえとおもてなし」のありかたを女性的なアイディアで昇華させたことにあった。それがアフタヌーンティーにつながったんです。これには生活文化全体に対して知識がないと成り立たない。日本の茶道もそう。茶の湯も、総合芸術といえますしね。
池澤 おもてなし、つまり目の前で淹れることに意味がある。コーヒーはそういうものじゃないですよね。目の前でことさら、「あなたのために淹れてます」と見せるものでもない。
熊崎 ただ、一方で昨今、ある種茶の湯にも通じる感覚でドリップコーヒーが復権している状況もありますね。いわゆるサードウェーブ系(*2)と言われている人たちは、「おもてなしのスタイル」を視野に入れて、今の時代の新しいコーヒーを考えている。隣接業から見ていると、この流れはこの先どこに行くのかな?と興味津々です。なにせ、紅茶や茶道のように何かしつらえをする世界へ向かうのかといえばそうでもない。むしろ「コンクリート打ちっぱなしのロフト」みたいなシンプルさに行く。
池澤 最近のサードウェーブ系のお店は、「ファクトリー」って感じですね。
熊崎 そうなんです。道具についても、クールさを打ち出したスターターキットみたいなものを作ってますけど、それをデコラティブにしようという方向性ではない。
池澤 逆に削ぎ落としていくスタイル。
熊崎 紅茶や中国茶の場合、必ず周囲にしつらえやおもてなしを広げる結果になりますからねえ。
池澤 高級茶芸師の最終試験では、テーブルコーディネートからはじまって全部一式自分で淹れます。テーマを決めて、茶器から自分の服から全部選んで、自分が作りたいお茶の世界を提出する。「今あなたに提供したいお茶はこれです」とプレゼンする試験です。
熊崎 お茶の樹の由来からはじめて、歴史を追い、最終的には器の外側、茶葉の外側にまで行く。すごいですよね。そういえば、欧米の紅茶の本には共通の良きスタイルがあります。まず開くと、最初にバーンと素敵なティーパーティーの写真が載っていたりする。
池澤 グラビアページのような。
熊崎 そう。そうして、そこで使われている食器の情報や料理の情報が載っていて、一番最後に申し訳程度に「紅茶の美味しい淹れ方」がある(笑)。葉っぱにこだわりたいタイプの人間からみれば一番大事な情報が、どうでもいいかのように最後に書いてある。日本人ならおそらく「お湯はこれくらいで沸かして、水はこういうのを選んで」という「いろは」の「い」から始めると思うんですが、それが逆。「いろはにほへと」の最後から始まっているのが面白い。
池澤 紅茶って何かしら食べ物が必要ですしね。コーヒーはコーヒーだけ飲まれる方もいらっしゃいますけど、紅茶は何かちょっとした食べものと合わせるのが楽しみ方としてありますよね。そうやって広がってゆくものですよね。


◎ティーブレンダーへの道

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池澤 話を戻すと、高校で突発ゲリラ喫茶室を遊びでやっていらしたんですよね。
熊崎 はい、中学高校とやりました。
池澤 そこから「紅茶を生涯の生業にしよう」と決められたのはいつですか?
熊崎 はっきりと決めたのは91年ですね。私が出張ティーパーティーを本格的に始めたのが86年なんです。だから細かく言うと、うちの創業年は86年。86年に始めたことに、実はすごく運命を感じています。なぜかというと、この年は「午後の紅茶」の発売年なんです。私がお茶の世界に憧れて、お茶の奥深さと楽しさをみんなに伝えたいと考えた同時期に、世の中は、「お茶は自販機にお金を入れてボタンを押せば出てくる飲み物だ」という方向に梶を切った。
池澤 熊崎さんのお仕事のスタンスは、そのときに始まっていたのかもしれないですね。世間で広まったお茶のイメージと、それに対する熊崎さんの理想のお茶という構図。
熊崎 そうですね。私はどちらも認めた上で、それをつなぐことができないかと考えていて。それで、86年に出張パーティー屋さんを始めました。だけど、当然失敗もします。なにしろ素人芸だし、知識も足りない。それで、当時入り浸っていた紅茶専門店に弟子入りして、本格的に修行を始めました。
池澤 それまでは自己流で?
熊崎 完全に自己流です。でもそれでは結局自分の好きな味ができませんでした。いろんな会社の葉っぱを買ってみたりして、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりして試行錯誤しました。それが無駄だったとは言いませんけど、ロスは多かったかな。
池澤 でもその回り道も大事だったのでは? いろんな種類のお茶を飲んでいく中で、「このお茶はいろんな淹れ方があるけど、自分が好きなのはここ。でも世の中の人が好きなのはここかもしれない」という兼ね合いがわかってくるわけですよね。
熊崎 そうですね。つくづく一番実になったのは人のためにお茶を淹れたことですね。それから、紅茶が本当に面白くなってのめり込みました。で、大学を出た後にはどうしようかと考えたとき、「よし、おもてなしのプロになろう」と決めたんです。
池澤 それまでは出張ティーパーティーと言っても、お金を稼ぐためというより、お茶の面白さを広げたいとか、一緒にお茶で遊ぼうよみたいな感じでやってらした。
熊崎 本当に性根を据えなければと思ったのが、91年でした。
池澤 そこまでは「プロのアマチュア」だったわけですね。
熊崎 わはは......その後もセミプロの時期が5年ほど続きます。卒業して、紅茶メーカーに就職して、そこから七転八倒して、96年。ちょうど始めてから10年目ですね。壁にぶつかりながらもいろいろやってきて、ホテルのレストラン用商品等を作らせていただけるようにもなりました。そこで、生意気でしたが、会社に「買い付けからティーバッグの製品化まで全部やらせてください」と頼んで、初めての自腹のプロデュース商品を作りました。それが96年のこと。ティーブレンダーとしての第一歩を踏み出したのはそこだと思っています。


◎ティーブレンダーになるには
池澤 お勉強はどんな仕方でされたんですか。ひたすら実践で?
熊崎 完全に実践です。
池澤 やはり。私も知識として勉強したことはありますけど、飲んでいる数が断然足りないんですよ。
熊崎 そうですか? プロなみの数を飲まれていると思いますよ。
池澤 でも、お店をやっている方のように毎日茶葉に触れて、お客さんと接して、茶農家さんと接して、という経験が圧倒的に足りない。そこがもどかしいです。
熊崎 ここは太字で書いちゃってくださいね。春菜さんはね、ご自分に設けるハードルがいつも高い!
池澤 (笑)。今一番やってみたいのは、茶農家さんに一ヶ月くらい行って、お茶を育てるところから摘むところまでの一連の流れを、全部体験してみること。
熊崎 それは強くおすすめしておきます。ただ、先に断言しちゃいますけど、春菜さんくらい意識や観察力が高い方だと、おそらくそれは自分の中で推察していたことを確認する作業になると思います。「行ってみたらやっぱりそうだった」という。
池澤 私はカップの中のお茶をある程度評価することはできる。そこからさかのぼって、どうやってこれが作られているかもわかっている。ただ、それを実際に自分の手で、自分の体で確認しておきたいんです。
熊崎 ぜひそうされるといいですよ。おそらく感想としては「やっぱりそうだった」でしょうけど、それを経ることで、今まで以上に多くの方にお茶で幸せを与えられるようになる。それは間違いない。それまではできなかった新たな「もてなしのテクニック」も身につくはずです。
池澤 ますます行ってみなくちゃ。
熊崎 でも、これまでいろんな方と知り合いましたが、おそらく「よーいドン」で一斉にスタートして一番早くプロのティーブレンダーになれるのは春菜さんですよ。
池澤 どうしたらなれるんですか。
熊崎 春菜さんは、すでになれる要素は揃っていると思います。
池澤 この連載を読んでくださっている方の中に、紅茶がすごく好きで、熊崎さんのようにお茶にかかわる仕事がしたいという方がいたとして、その方はどうしたらいいんでしょう。
熊崎 まず一番根本的で大事なことは、とにかくお茶を淹れて出すのが楽しいと感じる......そう自分に言い聞かせること。自分に対しても人に対しても、「お茶を淹れて出すこと自体が楽しい」という気持ちを常に持ち続ける。仕事にするならこれが必須条件だと思います。
池澤 はい。
熊崎 そのうえで、やることは三つです。実際にどうしたらなれるのかと言うと、まずはたくさん「飲む」こと。それから自分なりの方法でその味を「覚えておく」こと。絵を描いてもいいし、曲を書いてもいい。スクラップブックを作ってもいい。そうやって何かに関連付けて味を覚えておく。それから、飲んだあとに「自分ならこうするな」と「考えて」みる。しつらえであったり、お茶に合わせるお菓子であったりですね。それをやり続ける。
池澤 自分のなかに、映画でいうストーリーボードをたくさん溜めておくということですね。
熊崎 そうです。「自分だったらこうするのに」とか「こういう気分の日に飲むときは」とか、想定できるシチュエーションを書き溜めておく。私はそれをシーンとか情景と呼んでいます。紅茶の仕事は自分とお茶と情景、この三つの関係を即時に把握することから始まるんです。
池澤 私の頭のなかでは、お茶の味は「形」なんです。「ここがこんなふうに膨らんでるな」とか、そういう感触が全部形になって見える。それに、何をどう足せば、より気持ちの良い形になるかを考える。そこから味を組み立てています。
熊崎 それは才能のあらわれだと思いますよ。その三つの関係が見えると何ができるか。たとえば春菜さんのお家でホームパーティーをするとします。そこにラズベリーのケーキがあって、何のお茶を出すかというとき、「どこのメーカーの何というお茶がいいですよ」と選べれば、ティーアドバイザーになれます。そこから「こんな食器に載せて、ミルクティーにしたら美味しいですよ」と言えたらティーコーディネイターになれる。そこからさらに、「そのお茶にはこの産地の茶葉が原料として良い」というところまで言えたら、ティーテイスター。そして、「それにピッタリのお茶を私が混ぜます」というところまでいければティーブレンダーです。
池澤 なるほど。
熊崎 お話を聞くと、春菜さんはご自分の中で自然にその三角形ができている。言ってみれば最初からティーアドバイザーであり、ティーコーディネイターであり、ティーテイスターであって、ティーブレンダーの要件は揃っています。あとはご自分の意志だけですよ。
池澤 とりあえずどこかの門を叩いてみようかしら(笑)。
熊崎 私の弟子たちに危機感を与えるためにも、ぜひご一緒に(笑)。
――今現在、ティーブレンダーは世の中に何人くらいいるんですか?
熊崎 厳密に言えば、少なくともメーカーの数だけいるはずなんです。
池澤 たとえば評茶員や茶芸師なら、政府が免状を出すから、一応その免状の発行した数だけの人数がいることになります。ティーブレンダーにはそういうものがない?
熊崎 そこが実に英国的な発想というか、「〝ティーブレンダー〟と名乗ったら、今日から君はティーブレンダーだ。ただし3年後に君に仕事があったらイイね」ということ。だからティーブレンダーに関しては実は資格ってないんです。
池澤 私のことで言うと、ティーアドバイザーの資格を取ったときに、「あれ?」って実は思いまして(笑)。というのは、お茶の外側の勉強、つまり表層的なことはしっかりできたんですけど、肝心のお茶の中に入れない感覚があったんです。「お茶の内側に入るには自分でやらないとダメなんだな」と。つまり結局は資格ではなくて個々人の経験値なんですね。


◎美味しさの記憶

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池澤 ここまでお茶に入り込んだ一番の原因は、私が食いしん坊だからだと思います。より美味しく食べたい、より美味しく飲みたいという気持ちが強いんです。
熊崎 それは大事ですね。
池澤 まわりから「なぜそこまで」と言われることはあります。たとえば旅行先で、あと5キロ先に美味しい食べ物屋さんがあるから、「私はそこまで歩く」と言ったときとか。
熊崎 本物ですねー......やっぱり。
池澤 「そこまでしなくてもこっちのお店でいいんじゃないの」って。「こっちのお店だって80点ついてるよ」と言われても、あっちのお店は100点かもしれない。それならそっちへ行きたい。妥協して美味しくないものでお腹をふくらませるぐらいなら、一食抜きますみたいな。逆に、なぜみんなそうしないのか不思議なんです。
熊崎 文章を書くこと、歌を歌うこと、そういうのをひっくるめて私はひらがなで「つくる」と表現するんですが、春菜さんはとことん「つくる」人なんですね。これと決めたことはいい加減なところで妥協せずに、徹底的に追求する。それが「味わう」ことにも通じている。
池澤 福永姓じゃない方のおじいさまが食道楽だったんです。私はおじいさまが焼いてくれるステーキが大好きでした。お肉を買ってくると、まず肉の筋目を見ながら一番いい形に切ってくれる。にんにくチップを作るときも、全部一度に入れるんじゃなくて、一枚づつ完璧なタイミングで入れて、ひっくり返すことを繰り返す。そうして、私のお皿の上に一切れづつ完璧に焼かれたお肉が出てくるんです。私が食べている間も、ずっと肉を焼いていてくれる。そうすることで、一つ一つのお肉を一番美味しく食べることができるんです。あと舌平目のムニエルも大好きで(笑)。子供のとき「何が好き?」って聞かれると「舌平目のムニエル」って答えていたのは、いいバターでしっかり作ったムニエルをおじいさまが作ってくれていたから。
熊崎 実に素敵な思い出ですね......春菜さんは素晴らしい観察眼と記憶力を持っていますよね。何でもよく見ているしよく憶えている。
池澤 ありがとうございます。
熊崎 お話を聞くといつもわくわくします。春菜さんの話し方に臨場感があるからですが、それだけではなくて、常にこの瞬間をそこにいる人たちと一緒に楽しもう、とされているのがわかります。ホスピタリティがある。春菜さんの文章にもそれを感じます。
池澤 この連載については、読者の方が最後まで読み終わったとき、「ここで知った中国茶の知識を使ってどう遊ぼうか」と思ってくれるといいなと。私の書いたものでお茶に興味を持ってくれたら、今度は自分でどんどん飲んでみてほしいんです。
熊崎 緑茶の回にしても、マニアの人たちからすると、「もうすこし掘り下げて」と思うかもしれないけど、そこを碧螺春(*3)で止めておく。あのバランス感覚ですよね。
池澤 そこから先は、好きになった人が自分から踏み込んでいかなきゃいけないところ。あんまり先回りしちゃうと、「怖い、わからない、難しい」となりかねない。碧螺春にしても「味も素晴らしいけど、見た目だって面白い」とか、自由に楽しんでほしいんです。
(後編につづく)

*注
1/評茶員
中国政府が認定する、国家職業資格。茶葉を鑑定する、中国茶のソムリエ。
2/サードウェーブ系
1990年代以降に広まったアメリカ発のコーヒーカルチャー。19世紀後半以降の大量生産・大量消費を特徴とする「ファーストウェーブ」、1970年頃から広まったシアトル系チェーンを中心とした「セカンドウェーブ」に続く、3度目の大きな波といわれている。高品質な豆をハンドドリップで丁寧に淹れるスタイルに特徴がある。
3/碧螺春
中国の緑茶の一つ。第9回を参照。

2015年5月 於・楽器カフェ
東京都千代田区神田神保町1丁目15 杉山ビル2F
営業時間 12:00~19:00

熊崎俊太郎
1967年東京都生まれ。幼少期より紅茶文化に関心を持ち、大学卒業後、紅茶専門店、紅茶輸入商社勤務を経て独立。ティーブレンダーとして数々の商品企画を手がけるほか、紅茶に関する講演や講師を行っている。執筆・監修書に『紅茶の事典 基本の淹れ方からアレンジメントティーの楽しみまで』(成美堂出版)、『紅茶を楽しむ ゆったり贅沢なティータイム』(大泉書店)など。
オリジナル紅茶専門店「レ・フィーユ」 http://www.amazingtea.com/