第24回 ティーブレンダー熊崎俊太郎さんに聞く、紅茶の豊かな世界[後編]
◎はじめての出会い
熊崎 最初はたしか静岡でした。
池澤 そうか。静岡でSFのコンベンションがあって(*4)、私がそこにゲストでおじゃましていたら、隣の部屋でたくさんお茶を淹れてらっしゃる方がいて、それが熊崎さんでした。そこからは控室に戻らず、ずっと入り浸ってました。「次は何が出てきますか」って。あれが最初でしたね。
熊崎 「春菜さんが来てるよ」ってウチの常連さんが連れてきて来てくださったんですね。春菜さんとは以前から共通の知人も多く、また大のお茶好きでいらっしゃることは知ってましたから、しめしめと思って(笑)、お茶をさしあげたら、とたんに眼の色が変わって、「出番大丈夫ですか?」とこちらがお尋ねするまで飲みつづけてましたね(笑)。
池澤 「何杯まで飲んでいいんですか?」って(笑)。
熊崎 印象的だったのは、最後にスタッフの方たちにも私が「お疲れさま」の一杯をふるまっていたら、急に春菜さんがこちらへ走ってきて、真剣な目で「どうしてこのレシピにしたんですか」と聞いてきたとき。あれはハッとしました。「このお茶のポテンシャルを、こういう方向で発揮して良いんでしょうか」とおっしゃいましたね。
池澤 それまできっちりと淹れておられたのに、最後に淹れ方を変えられましたよね。だから「これは間違いではない、絶対わざとだ。なんでだろう?」と思って。
熊崎 あえてくずしたことに気がついて、淹れている本人に確認に来た。その繊細な味覚に加えて、行動力と気概に頭が下がりました。
池澤 ちゃんと理由を教えていただけたので、納得できました。
熊崎 ああいう場では、茶葉の美味しさを追うだけではなくて、あえてお茶にムダな役をさせるようなずらし方も必要だと思うんです。その場にいる人たちにより楽しんでもらうためにね。でも、春菜さんがそれに気付いたのには驚きました。「こういう人が世の中にはいるんだな」と。
池澤 それ以来、いろいろ教えていただいています。日本紅茶協会のティーアドバイザーの勉強もさせていただきましたし。
熊崎 春菜さんが幼い頃からお茶に関心が高かったら、どうなってたでしょうね...。
池澤 たぶん中国にいるかな(笑)。あるいは台湾かインドにいるかも。
熊崎 なるほど。それはあるかも。
池澤 行ったきり帰ってこないかもしれない(笑)。でも、いろんなものを見てから入ったからこそいいのかな、と思います。本を読む私がいてのお茶、お芝居する私がいてのお茶、物を書く私がいてのお茶。そのおかげで、いろんな面からお茶を見ることができると思うんです。
◎壁にぶつかったときの乗り越え方
熊崎 86年から数えて、この仕事を始めて30年。最初は趣味で始めた紅茶でしたが、段階を踏んでいくことでようやく本当のプロになれたなと、この頃感じています。途中で何度か大きな壁にぶつかったこともありましたけど。
池澤 突き詰めていくからこそ、ぶつかる壁ですね。
熊崎 どうやってそれを切り抜けたかというと、実は簡単で、「自分のことばかり考えて悩むから壁ができるんだ」と気がついたんですよ。自分なんて何ものでもなくて、大事なのは、凄いのはお茶のほう。最後に残るのはお茶だけだと。だとしたら、自分の悩みなんて悩みじゃないんだ。そう気がついた。そしたら何もかもがどうでもよくなって......というのは乱暴な言い方ですけど(笑)、目の前がクリアになったんです。
池澤 私にとってはお芝居がそうかもしれない。私はお芝居をするときは、そのキャラクターを通す透明な管になるんです。
熊崎 なるほどです。
池澤 私は役を演じるというより「降ろしてしまう」タイプで、いかにその役の邪魔をしないかだけをいつも考えます。その役の人が私の体を使ってしゃべるという感覚。だから、うまく使いやすいようにしっかり体の調子を整えておく。私の目と私の口をつなげてしゃべるから、その連携がうまくいくように軽く下読みはしておきます。でもそれは事前にナビで道を確認しておくようなもの。
熊崎 それを聞くとますます、春菜さんがお茶のプロになったら最強だと思いますね。私はお茶だけ在って自分が居ない世界を仮想することで仕事上の壁を乗り越えましたけど、春菜さんの場合は普段のお仕事で、自分を透明にする訓練をすでにされている。だから、お茶に関して私がぶつかった壁にはぶつからないですよ。
池澤 いつも遠くから自分を眺めて、「そういう声、そういうお話の仕方で、そんなふうに思ってたんですね」って驚きながら見てる感じですね。
熊崎 すばらしい立ち位置ですね。紅茶のプロになった方のなかには、すごく優秀なのに、全力で壁に向かっていって、全力で壁に激突して、そこで何かがぽっきりと折れて、紅茶から離れてしまう方もいますから。
池澤 そういう人もいるんですか。
熊崎 はい...つまりは最後までご自身のこだわりを貫いた結果としての離脱でしょう。あるいは逆に、茶葉や道具や空間装飾で、完璧に自分の世界を作りあげて活動を縮約される方も...つまりご自身が絶対的な存在になっちゃう。そうすればもう壁にぶつからずにすみますし...。それらは個々人の生き方ですから肯定的に捉えていますし、むしろ、うわー凄いなぁと感心しちゃいます。でも「お茶には人間社会に広く〝ちょっとだけ〟幸せをもたらすコミュニケーションツールであってほしい」という私の感覚でいえば、それは何だか別世界のお茶だなぁ、と。
池澤 壁があること自体を認めないってことですもんね。
熊崎 ええ。私には「お茶を突き詰めた先に〝自分〟はない」という謎の確信があるんです。
◎「呈茶」のすすめ
熊崎 私の場合と同じような...。でも、脚本家や演出家からすれば、春菜さんをキャスティングした時点で、個性がそこに出る前提ですよね。更に、役者が自分を空っぽにした状態で仕事に臨めるのはたいへんなバランス感覚だと思います。
池澤 どうしたって自分は出てくるんです。消そうとしても出てしまう。とりあえず見てる人は見た目にとらわれるわけだし、この声にとらわれる。でもそれはハードであって、ソフトはいくらでも替えられるんです。だからよく「七色の声」って言いますけど、それだけなら七役やったらその人はもう引退ですよね(笑)。
熊崎 私は春菜さんにすごく期待してるんです。もちろん今でも大活躍されてますけど、お茶の専門家としての春菜さんの未来も、すごく楽しみ。
池澤 でも不安はありますよ。まだまだ飲み足りないし、勉強も足りない。自分の知識も舌も鼻も信用できない。だから、いまだに引け目みたいなものがずっとあります。
――プロに対してですか?
池澤 そうです。お茶に真剣に向き合っている人たちにたいして、「私はお茶が好きです」って本当に言えるのか。
熊崎 相変わらずご自身に課すハードルが高い...春菜さんらしいスタイルで不安感を解消していただくために、表演茶芸(*5)を企画すればいいと思います。舞台や声優のお仕事と同じ感覚で、パフォーマンスとしてお茶をふるまってみる。あとは、春菜さんはお茶への敬意とゲストへの想いから、準備万端整えて臨もうというお気持ちがとても強いので、ご自宅でパーティを開いたり、招かれた場所でお茶を淹れることに加えて、もう少し気楽な呈茶(*6)の機会を設けるのはどうでしょう?
ちょっと極端な例ですけど、私の場合はたまに地方のショッピングセンターなどに行き、いち販売員として知らない人々へ向けて「おいしい紅茶ご用意してます、いかがですか?」と試飲会をすることがあります。そんなふうに孤立無縁の状態でお茶と自分だけで闘うのって、自信につながるし、けっこう好きなんです。
池澤 たしかに私は、ホームでお茶を淹れることばっかりです。知ってる方が来てくださって、何をやっても褒められる環境ですよね。
熊崎 いえいえ、それは周到な用意の成果でしょう。むろん、人を呼ぶからには確実にもてなしたいというお気持ちはわかりますが、何だかその使命感がかえって自信を奪ってしまっているような...。もっとくだけた感じで、たとえばこの連載の何回記念かで、ゆるーいお茶会をやってみるとか!
池澤 いいですね。
熊崎 そうして表演茶芸と呈茶をしてみる。
池澤 あえてアウェーに身を置いてみると。それには茶芸をもう一度全部おさらいして、エア茶芸を頭の中で一週間くらいやらないと(笑)。
熊崎 また、もう(笑)。ではそのうえでお客様にはできるだけ気軽な形で接すること、も目標にぜひ。そういうことを試してみたら、気持ちも変わると思いますよ。太鼓判を押しておきますけど、私の知る限り、春菜さんのお茶を淹れる所作の綺麗さは屈指のものですよ。実現を楽しみにしています。
◎お茶は談話と思索の飲料
池澤 熊崎さんにとってお茶とは何でしょう?
熊崎 営業上は簡潔に「絶対に幸せになれる飲み物」と答えることにしてますね(笑)。
池澤 個人的には?
熊崎 個人的には、正直まだわからない。たぶん一生わからないと思います。
池澤 たとえば本は、その時その時によって読み方が変わっていくから面白い。何度も読める本ってその時その時で得るものが違います。きっと紅茶もそうですよね。
熊崎 ええ。お茶とは何か、いまだにわからないですが、だからこそ「いま自分はこう感じた」ってしるしをこれからの仕事でなるべく多く残していければ、と思います。
池澤 知り合いの編集者の方が、この連載を読んで、「もっとお茶を上手にいれられるようになりたい」とおっしゃったので、「そんなことはあまり気にせず、どんどん入れてどんどん飲んでください。そうして自分が好きな味、自分なりのスタンダードを見つけてください」と伝えました。その出発点ができたら、あとは「これは好き、これは好きじゃない」って探すのが簡単になる。それだけだと思います。そうして、次にお茶を人に淹れるとき、今度は「その人が好きな味は何かな」って考える。そうなるともっとお茶が楽しくなるはず。みんな、自分が好きなものを見つけるためにお茶を飲んでみたらどうでしょう。
熊崎 春菜さんほどお茶を理解されている方が、そういうやさしいスタンスでお茶を紹介されているのはとても素晴らしく心強いです。春菜さんの文章には、「お茶を入れたらいい気分になれそう」と読者に思わせる暖かみと安らかさがあると思います。
池澤 ありがとうございます。どんどん書きます!
熊崎 ご活躍を楽しみにしてます。お茶はいろんな垣根をこえるものです。今日この場のように、お茶をお互い淹れながら、飲みながらのやりとりって楽しいし、そこでの会話から新たな知見が生まれたりもする。お茶は談話と思索の飲料ですよ。今度、お茶会をやりましょうね。
池澤 ぜひ。これからも末永く、お茶友としておつき合いください。
*注
4 表演茶芸/中国茶の提供(茶藝)技法の一つ。味覚嗅覚だけでなく、視覚聴覚も楽しませつつ、提供する茶の背景となる文化風土なども伝えるための演出を行うもの。茶道具を駆使して淹れたお茶を召し上がっていただく通常の茶藝に加え、音楽、朗読、振付、衣装、場合によっては背景装置まで用意し、ストーリー仕立ての演出を行う。あくまで「茶によるもてなし」の席ではあるが、出来上がったものを観客が飲むことで完成する舞台芸術、と捉えることもできる。規模、方法ともさまざま。
5 呈茶/客人にお茶を差し上げること。日本の茶道では催し物などで集まった人々にお茶を振る舞うことを指すが、熊崎は「お茶全般の気軽な提供」を意味する語として援用している。
6 静岡でSFのコンベンションがあって/
2011年に開催された第50回日本SF大会ドンブラコンL。
熊崎は学生時代から、不定期にイベント内で紅茶専門の模擬店を出店。2011年の大会にはスタッフとして参加者・出演者・ボランティアの休憩スペースで喫茶サービスの運営を担当していた。
2015年5月 於・楽器カフェ
東京都千代田区神田神保町1丁目15 杉山ビル2F
営業時間 12:00~19:00
熊崎俊太郎
1967年東京都生まれ。幼少期より紅茶文化に関心を持ち、大学卒業後、紅茶専門店、紅茶輸入商社勤務を経て独立。ティーブレンダーとして数々の商品企画を手がけるほか、紅茶に関する講演や講師を行っている。執筆・監修書に『紅茶の事典 基本の淹れ方からアレンジメントティーの楽しみまで』(成美堂出版)、『紅茶を楽しむ ゆったり贅沢なティータイム』(大泉書店)など。