第29回 茶具のお話 茶壺編
前回、お茶をいれるにはだいたいこんな道具があるよ、とご紹介しました。
その中でも花形、主人公と言えば、茶壺さん。さらに紫砂壺さんときたら、スター中のスターでございます。
茶壺とは、だいたい手のひらに乗るくらいの小さな急須(もっと小さいものから大きなものまでありますが、ポピュラーなのはだいたいそのくらい)。中国茶は何煎もいれるので、小さくて良いのです。
形も幾何形という丸っこかったり平べったかったり、角ばってたりするもの、自然形という南瓜や動物を模したものまで様々。そのお茶にあった茶壺を選ぶことができたら、美味しいお茶をいれられたも同じ、なんですって。
紫茶壺の産地は宜興。
宋代に始まり、明、清の時代に大きく発展しました。
この辺りで取れた土を使い、金砂寺の名もない僧侶が作り始めたのが最初と言われています。焼成温度がとても高く、硬く密な焼き上がり。ほどよく軽く、しっくりと手に馴染みます。
釉薬を使わない茶壺のポイントは、粒の大きさによって生まれた微細な隙間、気孔。このおかげで、保温性に優れているけれど、空気の流通により茶葉が蒸れないんです。この気孔にはもう一つ大事な役割がありますが、それは後述。
この頃生まれた烏龍茶をより美味しく入れるために、紫砂壺も誕生したそうですよ。なので、やはり茶壺でいれるのにベストな茶葉は烏龍茶だし、烏龍茶をいれるのにベストな茶具は茶壺なんですね。
最高級とされるのは、朱泥。
そして型に入れて造られた量産品と違い、叩いて叩いて成型された手作りの茶壺がやはり一番。
大師、最も優れた茶壺職人と呼ばれる名工が、歴史上数人います。
まずは明代の供春と、時大彬。この二人により、茶壺は実用品から芸術作品へと高められたと言われるすごい人たち。
供春は奉公人、金砂寺にご主人のお供で行くうちに茶壺の作り方を覚えたそうです。供春壺は現在ではほぼ失われ、北京の博物館に一つだけ残っているそう。ググるとすぐ出てきますが、銀杏の凸凹を模したと言われる供春壺は、なんとも独特のたたずまい。これでいれるお茶は、どんな味なんでしょうねぇ。
時大彬は、その供春のお弟子さん。小さな茶壺をたくさん作ったので、それなりに今も残っています。
清代になると、またたくさんの職人が出てきます。一番有名なのは、陳鳴遠。この方と楊彭年によって、茶壺はさらに芸術よりに。
陳曼生さんの曼生壺は大変人気で、模作がたくさんあるそうです。ということは、今に繋がるスタイルを確立した方でもあります。
近代において有名なのは、顧景舟。1915~1996年の方です。この方の1948年製の茶壺は、オークションで1232万元、1億8480万円で落札されたそう。ひえぇ......
なんて書いてると、どうせいいものは高そうだし、そんな高いものは買えないし、としょんぼりしてきますよね。
でも、茶壺にはどれだけお金を積んでも買えない価値というのもあるのです。
それが、養壷。
前述の気孔。ここにお茶が染み込み、香りを移し、時とともに育っていくことで楽しめる、茶壺ならではの醍醐味。これぞ、至高のお茶道楽。
手順は簡単。
まずは、定番の、使いやすい、しっかりとした茶壺を一つ。おすすめは、そそぎ口、入れ口、取っ手が水平の、水平標準壺と言われるタイプ。これは本当に生涯にわたって使えるので、少しだけ奮発しましょう。是非、大量生産品ではない、手作りのを。でも一番大事なのは、手に馴染むか、愛着が持てるか、自分がピンとくるか。
おろしたばかりの茶壺は、まだ土の匂いがします。なので、茶壺が浸るくらいの大きなお鍋に、お湯と烏龍茶の茶葉を入れてしばらくくつくつと煮ましょう(茶壺を買うと、この煮込む用の茶葉をくれるお店もあります)。火を止めてそのまま放置。私はその後、お鍋の中の茶葉でキュキュっと全体を軽くこすって、乾いた布巾で拭いています。
ここからはひたすらお茶をいれるだけ。ポイントは、必ず、同じ種類のお茶を入れること。違う種類を混ぜると、香りがごちゃごちゃになってしまいます。
そして、ぜっっっったいに洗剤で洗わないこと。お水でさっとゆすいでおけば大丈夫です。
養壷筆なるものがあるので、お茶をいれつつ、余ったお茶をそれで塗ったりしてあげても。まだらにならないように、乾く前にさっと拭いてあげてください。
しばらく使っていると、だんだんツヤと深みが出てきます。そう知ったらもうそれは、あなただけの、世界で一つしかない茶壺。育て中の茶壺を誤って割っちゃった日には、私のように膝から崩れ落ちて数日立ち直れない、なんてことにもなりますので、大事に大事にね。
最初の一つに慣れてきたら、二つ目、三つ目と買い足していくのも楽しみ。
丸く広がる茶葉には丸い形の、平べったい茶葉には平たいの。これは鉄観音用、これは高山茶用、と分けて。もしくは意匠や、テーマを決めてコレクションをしてもいいものです。
でも、くれぐれもはまりすぎないように。