第25回 高平哲郎、シャイネスが生む傑作インタビュー 鑑賞篇8

■高平哲郎と僕

 いきなりそんな小見出しで始まっていいのかと自分に問うているが、しょうがない。インタビューを行うようになった自分が参考にして近づきたいと願いつつ、おそらく果たせないという名人について個人的な思いを書こうと思うからだ。
 高平哲郎の存在を知ったのは、ナマな体験では編集者駆け出し時代の頃だ。和田誠さんから「インタビューで不思議に面白いのは高平さんだ」と聞き、僕はへえと頭の隅に記憶した。高平というひとで思い浮かぶのは由利徹であった僕にとって、インタビュアーとしての高平哲郎をイマージュすることは出来なかった(ずっと本稿でイメージをイマージュと書いているのは冗談ですからね)。この時、まだ僕の触手は高平哲郎インタビュー本には動かなかった。伊丹十三や和田さん、吉行淳之介の本は、この頃漁るように手にとって読んでいたのに。次に本によって高平哲郎のインタビューの面白さを知った体験があるのだが、リアルな体験でのほうを優先しよう。
 宝島社という会社がある。もとはJICC出版と言い、「ワンダーランド」を発行し、次にリニューアルした「宝島」を出した。いまではオマケ付き女性誌とかで話題だが、僕の世代ではバンドブームとVOWだ。そこの旗揚げ時からの編集者であるOさんに「高平さんの聞き書きって独特なんだよな」という話を聞かされた。間をおかず、洋泉社で社長の座にあった石井慎二さんからも「インタビューで特別な感じなのは高平哲郎」と教えられた。二人の編集者としての父的存在に言われるとなると黙っていられなくなった。僕は本を売り払って予算を作って、ちょっと高めの高平本を買い漁る。
 この買い漁りの背中を押したのは二人の物書きだ。坪内祐三と津野海太郎だ。お二人のエッセイで高平哲郎「みんな不良少年だった」(白川書院)を教えられ、一等最初に購入。すると「ハア」と参ってしまった。当時借りていた三畳の仕事場兼本置き場のささくれた畳に頬を擦りつけて悔しがった。なんだ、こりゃすごいぞと。
 高平哲郎と僕は天才と魯鈍人の差がある。

■テープ起こしが嫌で傑作インタビュー

 さて「みんな不良少年だった」を読み始めると、著者のまえがきにぶつかる。これが腹立つというか、すげえなと思うことをサラッと書いている。要約すると、テープレコーダーがあると臨場感や緊迫感が消えてしまう。だからメモ用紙と鉛筆でインタビューにあたり、帰ってすぐ原稿にかかるというのだ。
 例えば「こんなやり方でやろうと思うんですよ」と今の編集者たちに言えば、バカと怒られる類のやり方だ。熟練者でも怖い。依って立つ言葉の記録がないなかで原稿に向かうなど、砂漠で水筒一つで取り残されたようなもんだ(いまいち書いて自分でもわからないが雰囲気だけ掴んでもらいたい)。そういう冒険的手法をもってインタビューに臨むのが高平哲郎なのだ。
 まえがきで彼は自分を照れ屋、恥ずかしがり屋と告白する。これには自分も「うんうん」と頷けた。次に書くことも納得がいく。つまりインタビュアーという役を演じる、別人格を装うことに楽しみを見つけ出したというのだ。僕もそれは彼の言葉を読む前から感じていたことだ。自分は身の上話を聞き、身辺をいろいろ嗅ぎまわる。私立探偵的だ。それでいこうと。着るものからそれ風を装い、インタビューに行く。最近ではジョン・ル・カレ風のスパイにも偽装する。そうでなければ人に話に行けない。けれど高平哲郎ほど徹底できず、ついつい自分をさらけ出してしまうハメになる。こ
 文字起こし否定・原稿即日・偽装という三つの武器でインタビューに臨む高平哲郎の傑作インタビューは自分の非力を悲しくなるほど面白い。

■鋭い言葉を咀嚼し、書き留める

 香川登志緒先生にお会いしたことがある。笑福亭鶴瓶と新野新がやっていたOBCラジオ「ぬかるみの世界」の公開録音に参加した時だ。一泊二日の予定だったが気ままな家出人同然の僕はハガキ職人だったことを武器に鶴瓶さんに「香川センセに会いたい」と番組後、突然言ってみた。突然だ。鶴瓶師匠と喋ったこともない。学生崩れの男が急に頼んだことなのに所属事務所の違いも気にせず、PR誌「よしもと」の担当編集者を教えてくれた(編集部だったか、記憶が曖昧だ)。
 さっそく編集者にOBCの赤電話で話をし、鶴瓶師匠の後押しもあったせいか面会可能になった。ABC放送のロビーで三十分という約束で。現れた笑い台本の神様(さらに神様は秋田實だ)は飄々としたご老人だった。同行の編集者が来られないと早口で仰られた。
「若いのに、あなた何で好きですか。笑いが」
 と、ダイマル・ラケットの映画の場面とか、ミヤコ蝶々の「寅さん」での演技やら馬鹿みたいに喋った後で聞き返された。僕は「いやあ、なんだか心に引っかかるんです」としか答えられず、下を向いた。香川先生はそれ以上突っ込まず、僕に漫才ブーム以降のこと、ダウンタウンの可笑しさなどを話してくれた。時間は一時間を越えていた。お別れするので、タクシーでも捕まえますとと言うと、いやそのままでいいですよ、とやんわり断られた。
 その香川先生へのインタビューを高平哲郎は行い、抜群に面白くまとめている。まとめているが引用しづらいのは、ひとり語りと地の文を混合させているからだ。質疑応答で構成しない。けれど香川先生のものは割合、わかりやすい。序盤、こういう香川先生の一言を形にする高平は名人なのだ。

「いま、あんたとお話しようという問題はつまりまぁ富士さんみたいなもんで、どっからのかかわりで登るかでかなりその開けてくる景色が違うから......まぁ、あまりストレエトに進まんで、いわゆる大阪弁でオネオネしながら話しましょうや」

 と、こうなのだ。地の文で内容を補完していき、読者をリードしつつ、次々と相手の言葉を散りばめていく。これは〈聞けてなければ書けない〉〈言葉を受け止めて消化していないと書けない〉類の高等テクニックである。真似しては危険だ。普通のインタビューより難しい。ましてやその日のうちに書くとあればなおさらだ。

「喜劇の台本というものはね、小学校の五年生が、つまみながら読んでもね、どっかクスクスと笑わなイカんわけで。台本がそれだけ面白ければ、それをプロのコメディアンがやれば、それだけ面白いわけでしょ。ト書きの部分をきちんと書いとかなあかんわけ。ところがまぁ、いま第一線で活躍している人の台本みると、"誰それくるゥ"――どっから来るのかわからん。そういう人なんかによると台本は単なるシノプシスであって、演出の段階で面白くするという。そりゃあ、わたしにいわせると未完成ですわね(後略)」

 こういった作劇の意見を引き出す。いまの軽いTV関係者には耳の痛い話だろう。そういうシノプシス感覚で台本を考える者を「ズボラ」であるか「演出料欲しさ」であるかとバッサリと斬る。また藤田まことに口を酸っぱくして「チャップリンになるな。森繁になるな」と言ったということ。

〈コメディアンというものは、客に議論フッかけたり客に教育しようとしたらいけない。それがわたしの大理念ですねん。〉

 高平の言葉の移植法は、効率主義否定だ。「客」を二度使用したり、「まぁ」の連発も許す。そこにライヴ感を見出している。高平哲郎の香川先生へのインタビューは批評精神でいっぱいのハイブラウなものだった。

■由利徹が喋ってる

 高平哲郎のインタビューの面白さを分かって頂くには、全文掲載が望ましい。けれどそれではダメなようなので、次は、僕が勝手に思い込んでいた由利徹好きの高平哲郎のインタビューを取り上げたい。
 このインタビューは香川先生の「......」付きのものではない。高平特有のひとり語り構成だ。宮城県石巻市から役者目指して上京し、森繁久彌や森川信もいた「ムーランルージュ」に入る。その時の逸話。

〈それがさ、東北弁が抜けないわけよ。役者やってもさ、最初の役が御用聞きで、「チワー」って台詞なんだ。これが「ツワー」なんだよ。「マエドアレガドウ」ってなっちまうんだ。陰で嘆いてたんだよねみんな。「使いもんになんないなぁ」って。そのうち東北の役どころがきたんだよ。願ってもないよね。sれであいつは面白いなーってことになって、ズゥーっと東北弁の役ばっかり。〉

〈どうしても兵隊、行きたくないっていったら、先輩が、醤油を一合飲んだら、心臓がドッキドッキドッキドッキするぞっていうんだよ。だけど醤油飲むのいやだから、肺病になろうって思ってね、肺病になったらいかなくていいと思って、毎日顔に塗る粉吸ってさ、鼻の穴大きいだろ、たくさん吸えるんだよ。そのうち、胸がおかしくなったような気がしてね、馬鹿だったから。田舎帰って、「甲種合格!」一発で判コ押されちゃった。それで北支にすぐ持ってかれちゃった。〉

〈今の時代は、仕事する場所がないからかわいそうだよ。飛んで跳ねて倒れなきゃ面白くないですよ。アチャラカっていうのは、いちばん難しいよ。やっっぱりアチャラカってタイトルつけて舞台出たからには、必ず笑わさなきゃならない。一分間か二分間のうち、一発笑わさなくっちゃ。見に来るお客さんより一歩、さがったとこ、要するにさ、客に優越感を感じさせることが大事なんだよ。喜劇は身体使わなきゃ。坐って笑わすのは落語家にまかしとけばいいんだよ。〉

 このような言葉が並ぶ。レコーダーは持たない高平が由利徹の座談を再生している、まさに喋っているのだ。コメディアンにとって、笑いのことを語るのはややタブーになるかもしれない。だがそれを語らせているところも、ただ由利徹が好きな人がインタビューを行っているわけではない側面を表してる。
 対象へは好きでありつつ、身を寄せつつも、自分とは決定的に違う他人を意識した感じだ。その意識が強ければ質疑応答形式は無理だろう。自分を表明するのも嫌だし、追従も嫌だ。なにが残されているか。すると例のようなひとり語りか、地の文の補完で進める語りの紹介になる。高平哲郎のシャイネスは技法の域も越えて、作というものに近づけた。
 これを真似しようとしても無理な話だ。
 けれどインタビューにはシャイネスが多少なりとも必要なことを教えてくれる。シャイネスが距離の源泉になるのだから。