〈酎ハイ〉は東京の歴史遺産だ!

いまやだれもが楽しんでいる焼酎割り飲料。その背後には、知られざる物語があった――。

東京の中小メーカーを訪ねあるき、その秘密に迫る。「庶民酒」のディープな世界を案内する連載!

◆はじめに

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現代日本文化の代表格として、海外からも注目される居酒屋。居酒屋でもっともポピュラーな飲み物といえば、酎ハイやサワーでしょう。中身は、甲類焼酎を炭酸飲料や果汁などで割ったものですが、焼酎に加える業務用の「割り材」の多くは、実は中小の清涼飲料メーカーの製品であり、東京の庶民文化としての歴史をもつことは、意外と知られていません。

『酒類食品産業の生産・販売シェア』(平成19年度版)によると、コカ・コーラをはじめとする清涼飲料上位20社の2005年のシェアは、97.3%。寡占化いちじるしい業界の中で、ラムネと共に、中小企業がしぶとく生き残った数少ない分野が、無酒精の焼酎割り飲料(ミキサードリンク)なのです。

ワインや日本酒、本格焼酎などと違って、酒通(ツウ)のうんちくや評価の対象にならない酎ハイ。だからこそ、サイレント・マジョリティに支持されてきたといえます。他愛のない酒と軽んじられてきた裏には、陽の当たらない中小メーカーの努力がありました。

メーカーの方々の語りに耳をすませば、東京の「庶民酒」の大衆文化史の一端が明らかになるのではないか。そう考えて、取材に出かけることにします。

クドウヒロミ(工藤博海)
1972年生まれ。ライター。「モツ煮」をテーマにした都市民俗探求誌「モツ煮狂い」編集発行人。単なるグルメガイドにとどまらない、飲食を通した東京論をもくろむ。京成沿線育ち。