第3回 坂本香料に、ミキサードリンクの起源を聞きにいく 〈後編〉
3.下町のDIY精神
もともと、中小の清涼飲料メーカーは、戦前から無果汁のシロップを製造していました。1935年・刊『東京組合創立25周年記念業界回顧史』によると、明治32(1899)年以降、リンゴやナシ、アンズ、イチゴ、レモン、ミカンなどの「果実蜜」を工業的に製造し、主に氷屋の種物用に販売したほか、家庭用やソーダ水用のシロップもつくったといいます。「ラムネ業者の殆ど総てが、副業に果実蜜を製造した」(川原菊次郎・著「明治38年の果実蜜」『回顧史』所収)
堤野裕之・坂本香料社長も、同様の証言をしてくれました。「下町では、かき氷用のシロップを自作し、フレーバーや色素なんかを自分で買い求めて調合して、お祭りの期間だけ売る。そういうスタイルが当たり前にあったんです」
シロップから甘味を抜くと、割り材になります。
レモン味の柑橘系やウメ味は、ともにクエン酸の酸味に香料を加えて出すものですから、ラムネやサイダーをつくるメーカーにとってはお手の物。
江戸っ子
(葛飾区立石7-1-9 )
「高校生のとき、色白な男がモテるといわれたので、亜ヒ酸を自分たちで調合して飲んでみた。本当に白くなったやつもいた(笑)」「タバコで周囲とトラブルを起こす常連がいたので、次に会ったとき準備しておいた硝酸銀を、隙をみて嗅がせたら、自分の煙で大いに苦しみだした(笑)」
かなりやんちゃですが、昔の下町人のDIY精神がよくわかる話だと私は思います。
堤野隆会長によると、「昭和25~6年当時、レモン香料の一升瓶を1本・2本くれ、というかたが(坂本香料に)しょっちゅう見えていましたね。何に使うんですかと聞いたら、焼酎を割るんだと。定期的に見えていたかたで名前をおぼえているのは千住の八田(ハッタ)さん。個人が現金で買いにくる。今の居酒屋さんですね。やっぱり、焼酎の質があんまりよくなかったので、おいしく飲ませようという工夫だと思います」
果実系の味だけではありません。俳優の故・小松方正の回想によると、「アルコールに松葉を煮立たせたもので色をつけて、ウイスキーみたいにして飲んだ」「(松の)青い葉っぱを取ってきて陰干しして、それを氷水の中にさっと漬ける。...実にうまいよ。焼酎の中なんかに入れると」(『艶学書館』1977年4月号)
安い焼酎を、できるだけたくさん呑むため、そして呑ませるために、自分たちなりに創意工夫をこらす中で、下町の焼酎ハイボールが生まれました。したがって、山の手の若者相手にジュース感覚で甘くした、アルコール度の薄い酒、後年の「チューハイ」とは出自が違います。
焼酎ハイボールを、ハイボールとかボールと呼ぶ地域には、この古い伝統が生きているのです。