第3回 坂本香料に、ミキサードリンクの起源を聞きにいく 〈後編〉
4.グランドキャバレーと清涼飲料
堤野裕之社長は、さらに興味深い指摘もしてくれました。
「グランドキャバレーがはやっていたころ、普通のウイスキーは高いので、その代わりにカクテルにしたものが使われていたと、当時通われていた方に聞いたことがあります。当時はグランドキャバレーに通えることがひとつのステイタスだったんですね」
グランドキャバレー
(蒲田・レディタウン)
私は行ったことがなく、確かめていませんが、現在でも蒲田や赤羽で看板を見かけますし、銀座の『白いばら』も多分そうなのでしょう。昭和30年代前半まで、キャバレーといえばグランドキャバレーのことでした。その後、風俗界では多種多様な業態があらわれたため、ホステスが接客する店イコール、キャバレーという誤解が生じ、旧来の業態が「グランドキャバレー」になったようです。
洋酒など高嶺の花だった時代、キャバレーは洋酒風、ビール風の飲料を安い原価で提供しようとしました。そこで活躍したのが、酒税のかからない清涼飲料メーカーの割り材を、これまた税金の安い甲類焼酎にブレンドした「酒」であり、ウイスキーやビールのイミテーションほか、いろいろな風味の香料が使われていたとのこと。
驚くことに、アルコールが入らないケースもありました。福富・前掲書によると、昭和20年代のキャバレーでは、12月23日から25日までの「わずか三日間で一年分の儲けを出した」。「クリスマスだというので、安いデコレーションケーキとアルコールなど全く入っていないサイダーのようなインチキ・シャンペン一組五万円を買わないとテーブルを確保できない」システムで、客には「現在の十万円くらいを使わせ」たと書かれています。
ひどい話ですが、これが混沌とした時代の商売なのでしょう。このシャンペンもどきこそ、ソフトシャンパンです。現在ではシャンメリーと呼ばれている、中小清涼飲料メーカーの製品です。
堤野会長によると、当時「クリスマスの時の、キャバレー向けのソフトシャンパンが忙しかったです。10月になったら作りだめをはじめましてね、夏場以上に忙しい。全部手作業でおやりになってましたから。昭和20年代、コルクで栓をして、針金でとめるのもすべて手作業でした」
シャンメリー
(「CHANMERY UNITY MARK SALUTE RARE SALUTE CHANMERY This is the best Congratulatory drink you can always trust made in Japan ZENKOKU CHANMERY KYODOKUMIAI」と、泣ける文句が印刷されている。 資料・坂本香料株式会社)
昭和47(1972)年、フランスのシャンパン製造業者から、名称禁止の提訴を起こされ、洋酒酒造組合では「スパークリングワイン」に名称変更、翌年には全国ソフトシャンパン協同組合が名称を「シャンメリー」に変更しました。
今でも、クリスマスのシーズンになると近所のスーパーで売っている、子供向けのイミテーション・シャンパンです。かつてはすべてキャバレーの業務用に卸されていたものが、現在、玩具のような扱いを受けているのにも、歴史を感じます。
シャンメリーが無酒精、非アルコール性の炭酸入り清涼飲料なのは、酒税負担に耐えられない中小清涼飲料メーカーの製品だからですが、もうひとつ、中小企業分野の製品として、役所により大企業の参入が止められているからです。アルコールの有無で、中小と大企業とのあいだに棲みわけがあります。
そして、焼酎の割り材も、シャンメリーと同じ、中小企業分野を確保されている製品なのでした。これはどういうことなのでしょうか。