第3回 坂本香料に、ミキサードリンクの起源を聞きにいく 〈後編〉

6.中小清飲メーカーのこれから

 さて、焼酎割り飲料ですが、博水社「ハイサワー」の爆発的売れ行きをみた宝酒造が、資本金1000万円の子会社「タカラ果汁」を使って、昭和59(1984)年5月、無酒精で果汁10%以下の炭酸飲料「タカラサワーレモン」「タカラサワーライム」の発売に踏み切ります(分野調整法により、工業業種における中小企業の定義は資本金1億円以下または従業員300人以下とされていました)。

 これを受けて、全国清涼飲料工業組合連合会・全国清涼飲料協同組合連合会は「しょうちゅう(焼酎)割り飲料」を中小企業分野の製品として宣言。これには、「「梅割り」「ぶどう割り」の他に、レモン、ライム、プラム、麦芽、ホップまたはそれらのフレーバーを原料とするもの、亦その中には炭酸ガスを含有するもの(アルコールを含まないビール風味の飲料を含む)もありますが、それらは永年にわたり中小清涼飲料業者が苦労して開発したもので焼酎割の飲料は中小企業分野の製品であります」(前掲・「要望書」)

 前回取材した田中専一・博水社会長も、自分たちで開拓した市場を守るために、たいへんな苦労をしたと述懐していました。

 「分野調整法の適用も、(ハイサワーを)手前どもで始めたところ、大手をはじめみなさんが真似をしていろいろ参入してきて、それでようやく、分野調整法の対象に入れていただいたんです」

 堤野会長によると、「サワーが出るということで、大手が参入し、当然競合するようになりますよね。そこで役所がけんかしちゃいけませんよということで、大手はアルコール入り、中小は割り材という棲みわけが、法律ではなく、行政指導で出来たんです」

 割り材がまだ生き残っている裏には、このような知られざるドラマがありました。

 経済のグローバル化と規制緩和の時代にそぐわない、大企業のお目こぼしと行政指導で守られた、小さな市場だとみる向きもあるかもしれません。それでも、多様化する消費者の嗜好に応じた、多品種少量生産の競争を勝ちぬいて、割り材が今日まで存続してきた事実を、見逃すわけにはいきません。

 堤野裕之社長によると、「サントリーなど系列の居酒屋は使えるものが決まっているので、何品か足りないところに、(中小の割り財を)入れるようお願いしている感じですね。やはり商品になにかしら特徴がないと、そういうところで使ってもらうのは難しい。チューハイ類はすごい競争で、商品の寿命が短くなっている。中小メーカーは大変です」とまとめてくれました。

 堤野隆会長も、「よくこれだけお飲みになるなと思うくらい、物量的に出ていますよ。スミダ飲料さん、三田飲料さんなんかは、次から次へと新商品が出てきますからね。それと、よく勉強されてます。どこで調べてきたんですかと思うくらい、お客さんの需要のキャッチが早いですね。こういう新しい果汁や香料が今後出るから、準備しておいてくださいとか、そういうのが多いな。大手さんは、小回りがそこまできかないと思いますよ」

 業務用の焼酎割り飲料は、東京の歴史的文化遺産だと、私は思います。日本人が人間的な経済競争をしていた時代を感じさせる商品なのです。

 そのことを、私たちがせめて記憶にとどめておけるよう、今のうちに記録を残したい。坂本香料への取材は、その意味で収穫の多いものでした。

 今回載せた証言は、酎ハイの歴史を紐解いていく上で、大きな手がかりになってくれるはずです。


(第3回「坂本香料に、ミキサードリンクの起源を聞きにいく」 了)

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■ 酎ハイ名店ファイル
・三祐酒場
住所:墨田区京島1-7-2
電話:03-3611-9801
営業時間:17:00~23:00
定休:日曜・祝日・第3土曜
[ひとこと]...昭和2(1927)年創業。もともと酒屋にカウンターを設けて客に飲ませていた。戦後の昭和22(1947)年、酒類の統制解除を機に、酒屋と酒場を分け、前者を男衆が、後者を女性たちで切り盛りするようになる。2代目店主の奥野木知恵子さんによると、すぐ近所に、昭和11(1936)年まで存続していた寺島と場から、牛の生モツを仕入れていた、この近辺のモツ煮込み屋のはしりだという。その煮込みの味に、元祖ハイが絶妙にマッチしている。居酒屋のメニューがまだ少なかった時代、煮込みとハイボールの取り合わせで各店が勝負していたなごりを現代に伝える、貴重な店だ。

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