第6回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈前編〉

3.下町の庶民酒・焼酎ハイボール

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酎ハイ

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ウイスキーハイボール
Q)そのころから、「酎ハイ」という言葉があったんですか?

阿)「酎ハイ」じゃないですよ。

神)本来は「焼酎ハイボール」。ウイスキーだと普通の「ハイボール」。ウイスキーは高価なので、代わりに焼酎を入れ「ハイボール」と称した。「焼酎ハイボール」とも言いました。炭酸で割っただけではおいしくないので、いろいろな割り材を入れるようになります。戦前はウメ割り、ブドウ割りのまま飲んでいて、炭酸を入れた酎ハイ文化になったのは戦後。私がかついで配達していた、昭和30年代の話です。

阿)確かに、「酎ハイ」じゃなくて、焼酎ハイボールとか、ハイボールという名前で呼ばれていました。

Q)今でも下町だと、「酎ハイ」より「ボール」のほうが古い言葉なのかもしれないと思います。

神)大体、「ハイボール」という言葉自体がよく分からない。
(脚注:福西英三「洋酒うんちく百科」によると、Highballは1890年代からアメリカで広がった俗語で、起原には諸説あるが、丈の高いタンブラーをハイボール、低いロックグラスをローボールと呼んだ。グラスを握る手の形が、野球のボールを握るのにそっくりだから、という説が紹介されている)

阿)ソーダのボール状の泡が高く上がっていくから、High-Ballなんだと聞いたよ。

寺)昔はバーに行っても、ほとんどがハイボールか、ストレート。水割りなんて飲まなかった。

神)オンザロックかストレートかハイボール、それしかなかったです。

Q)水割りは1970年代、サントリーの二本箸作戦以降です。1930年代に、アメリカでウイスキーをいろいろなフレーバーの清涼飲料で割ることが流行したらしいんですが、それが進駐軍によって持ち込まれ、東京の下町、江東6区に今にいたるまで根付いたとも考えられます。

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