第6回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈前編〉
5.煮込み文化と焼酎ハイボール
阿)だから、下町には、モツの煮込みと焼酎の「煮込み文化」があったんでしょう。
Q)もつ焼き(焼きとん)ではないのですか?
阿)焼きではなくて、煮込みと焼酎。さっき言った山谷のドヤ街なんか行くと、酒屋さんで、自作の独自酎ハイと煮込みだけ置いてあるようなお店が、けっこうありました。たとえば山谷の明治通りと吉野通りの交差点の、今ではコンビニエンスストアになっていますが、あそこはかなり最近までやっていました。
神)人だかりがしていましたね。
阿)朝からね。それと、山谷をちょっと行った金澤商店さん(東京都台東区清川)。大きな酒屋さんで、長いカウンターがありました。あのあたりの酒屋さんは、半分は立ち飲みで経営を成り立たせていたのです。
神)今では、山谷は人が少なくて、売れなくなってしまいました。
阿)そのなごりが、今、ホッピー通りとか煮込み通りなんて言われている、浅草の馬券場の裏に残っているんじゃないですか。
神)煮込み鍋がありますね。
Q)とすると、酎ハイと煮込みのとりあわせは、山谷から下町に広がっていった文化だと考えられますか?
寺)まず間違いではないでしょうね。
阿)江東6区に広がっていった。
寺)関西とはまたちがうでしょう。関西はそこまで甲類焼酎を飲まなかった。
阿)歴史的な経緯もあって、浅草が、酎ハイや煮込みを出したはしりというか、発祥の地なんじゃないのかな。