第6回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈前編〉

7.代用酒からサワーへ

寺)独自の代用酒の草分けで、今でも残っているのが神谷酒造のデンキブランや蜂ブドー酒。あのようなカクテルを各自で考案したんですね。キツイけど、酔っ払うと飲めるんですよ。
(脚注:神谷伝兵衛は愛知県の農家出身。横浜のフレッレ商会に勤めたあと、このときの知識をいかし、浅草花川戸で神谷バーを創業。輸入ワインに生薬や甘味料を加えて増量し、渋味を抜き甘みを強めて日本人の嗜好にあわせた模倣ぶどう酒「香竄葡萄酒」を明治15(1883)年に発表。明治18(1886)年に登録商標として「蜂印」を添え、日本橋本町の近藤利兵衛が一手販売した。一時は圧倒的シェアを誇り、蜻蛉印や蝶印など類似品が出回るほどの人気だったが、これに広告宣伝で対抗したのが壽屋(現サントリー)の赤玉ポートワイン。壽屋の攻勢に押され、昭和2(1927)年、「蜂ブドー酒」と名を改めざるを得なくなる。また同店では、輸入したフランスの「ハイン(HINE)・コニャック」にベルモット、香料、アルコールをブレンドして増量した「電気ブランデー」を考案、人気となった。なお、「電気」の由来は、電気のようにビリビリくる強い酒だからではなく、当時家庭に電気が普及し、そのありがたさを象徴するために採用されたのだという)

神)もともと日本では酒税が高いでしょう。ウイスキーもビールも高嶺の花。焼酎だけが安かったんです。安い焼酎を使い、ウイスキーと似たようなハイボールや、ビールと同じような炭酸の飲み物をつくる。安物で何とかしようという発想です。

寺)サイダー、ラムネ以外の炭酸飲料は、いかにそれ風のものを安く仕上げるか、ということを考えたのでしょう。割り材用の炭酸飲料も、下町の方でだんだん発達していきました。それを山の手で「サワー」に商品化したのが、博水社の田中さん(専一会長・本連載第一回登場)。田中さんがよく話してくれたのは、飲み屋で酎ハイを頼むと、焼酎を入れたグラスをずらっと並べ、レモンを入れ、炭酸を一気に注いでいくのを見たそうです。だったら、最初からレモン果汁でつくった方が簡単じゃないかと、レモンサワーを考案した。

神)酎ハイを作るときに、焼酎と氷を入れて上に炭酸を注ぎ、飾りに輪切りのレモンを一枚入れる。そうすると香りがよくなります。

阿)レモンサワーも、酎ハイと同じく、前段階は、やっぱりウイスキーのハイボールだったんじゃないですか。

神)やっぱり、ウイスキーハイボールが前提で、ウイスキーの代わりに焼酎を使ったということです。割り材を入れないハイボールのスタイルが一般的でしたね。後になって、いろいろな味のものが出てきたけれども。

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