第7回 特別編 座談会 焼酎割り飲料は東京のローカル文化だ!〈後編〉
連載場所を移しての再開第一回目は、特別編として焼酎割り飲料とともに歩き続けてきた下町の老舗メーカーの方々による貴重な座談会をお送りします!
出席者:東京都清涼飲料協同組合/東京清涼飲料水工業組合
阿部勲夫理事長(丸源飲料工業株式会社会長)=阿)
神作一明副理事長((株) 興水舎代表取締役)=神)
寺田康夫副理事長(東京飲料合資会社代表取締役)=寺)
久保田潔・全国清涼飲料工業会部長 =久)
ききて:クドウヒロミ =Q)
1.ラムネからタンサンへ
Q)戦後、ラムネメーカーが炭酸メーカーに転じていった経緯は?
寺)ラムネは、ビンの型からして異物混入が起こり得る、炭酸飲料です。ゴムのパッキンが劣化し、ガスが抜けて玉が落ちます。すると虫が入ったり、腐敗して、炭酸飲料の中でもクレームナンバーワンの商品。ですから東京で、昭和30年代には150社くらいラムネ屋さんがあったのが、今5社ぐらいしか残っていません。この間までラムネ専門にやっていた日東飲料さんも、2008年3月で、やめてしまいました。
神)要するに、ラムネ屋さんの充填設備があれば、炭酸水が簡単にできるわけです。
阿)まず進駐軍の影響があり、洋酒ブームが来て、ハイボールという飲み方が流行し、お客さんのニーズができました。
神)需要が生まれて、供給しようと思った時に、小さなラムネ屋さんでも炭酸水は簡単にできます。
阿)ラムネ屋さんは、ラムネとサイダーの両方を作っている場合が多かったので、サイダーの機械があれば炭酸は簡単に詰められるんです。