第9回 新しい庶民酒をつくる東京の地域力 〈後編〉

3.理想は、最終電車を忘れさせる飲み物

 秦さんは、取材の最後に「個人的な意見ですが」と断った上で、興味深い指摘をしました。「健康志向や、デフレで価格重視と巷でいくら言われようとも、実際に自分が居酒屋で友達と飲むときを考えてみれば、一杯ごとの値段がいくら安いか、それほど気にはしません。いったん飲み出せば、100円200円はもう関係なくなります。居酒屋に行って健康を考えているわけではなくて、要はそこで仲間と語り、不平不満や愚痴をこぼし、こんなことをしてみたいと、夢のような計画について話すひとときが大切なのです。そんな時間を楽しませる飲み物のカギ、原点は、やはりおいしさではないでしょうか。私は、何杯飲んでも飽きない、どんどん飲めて話がはずみ、最終電車を忘れてしまうような飲料をつくりたいと、いつも考えているんです」

 天羽飲料の堺社長も、何杯飲んでも飲み口がよく、スッと入ってきて、軽い口当たりが変わらない飲み物が目標だったと証言したのを思い出します。複数の清涼飲料メーカーから、図らずも、同じ内容の話が飛び出してきました。

 「仲間と話に夢中になり、何を飲んでいるかわからなくなっても、おいしく飲めてどんどん杯がすすむ、そんな話の場をつくる飲み物を開発したい。飲料は、やはりわき役が一番いいと思います」

 そんな庶民酒の味の決め手として、アルコール度数の設定が大事だともお聞きしました。「梅ハイボールの場合ですと、度数25度のアルコールを基準に、焼酎なら原液と炭酸を加えて、度数が8.8%になるように計算します。なぜかというと、業務店さんは氷を入れますから、ビールと同じ度数では酔えない。もっと焼酎を足してくれ、となってしまいます。そして、ウイスキーを割る場合は9.3%まで上げます。本家のサントリーさんが7%ですので、弊社はかなり高いアルコール度数でおすすめしていますが、その理由は、飲んでみておいしいからです。試飲して、いかに酔えるかを確かめないと、何も始まりません」

 アルコール度数を高めに設定することにも、こだわりがありました。

 今回、秦さんのものづくりにかける思いをうかがって、割り材(ミキサードリンク)の超ロングセラー商品がなぜ生まれたのかを解くカギとなる、東京のローカルな土壌について考えさせられました。ひと言でいえば「忘却によるリバイバル」。東京人は、絶え間なく変化する時代を、過去のヒット商品をリバイバルさせるチャンスに変え、したたかに生き残ってきました。
 ハイボールや酎ハイ、ホッピーが、歴史から切り離されて、あたかも新商品であるかのように人気を集めた背景には、「新しいレトロ」への渇望、つまり「どこにも存在しなかった過去」を、「ありそうなものとして」立ちあげる仕かけが繰り返し作動していたと、私は見ています。秦さんがひきあいに出した「世界のハイボール」のCMなどは、ハイボールというリバイバル商品に付与された空想的イメージをよくあらわしています。

 秦さんの言に従えば、庶民酒を創造するのは、大衆の潜在的な需要を先読みし、かたちを与える業務店のアイデアであり、その後、汎用品を製造して各店を支える地場のメーカーが参入する。さらに、大衆の新しい欲望の輪郭がはっきりすると、マスメディアがその果実を後追いで横領し、ブームを確実なものとする。そんな図式が指摘できると思います。

 東京人が、斬新さや新しさを欲望する精神的伝統を失わない限り、どんな不景気に見舞われようとも、東京の都市文化は発展しつづけるはず。今回の取材で、そう確信できるようになったのは、予想外の収穫でした。

■ 酎ハイ名店ファイルkikuya2.JPGのサムネール画像kikuya1.jpgのサムネール画像
4.きくや
住所:東京都新宿区西新宿1-2-8
電話:03-3342-5928
営業時間:15:00~24:00(月~土)、15:00~23:30(日祝)
不定休

[ひとこと]...いわゆるション横の名店居酒屋。店主の宮野勝さんは、創業後間もない1950年代からの定番・元祖「焼酎ハイボール」(315円)について、料理を邪魔しないよう味に工夫をこらしたと語る。「飲み物は脇役が一番」と秦さんが語った、カンダハイボールにぴったりの店だ。タンブラーに見えるロゴ「SS」は、業務用酒卸の株式会社鈴木酒販(http://suzukishuhan.co.jp/)のこと。きくやグループの中でも下高井戸店の酎ハイが、もっとも酒が濃く、旨い。
下高井戸店 03-3325-5346
仙川店  03-3309-5622





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