昨日の日記に対して、知人からメールがきた。テレビ東京の「世界を変えた100人の日本人」で、ニコリの鍛冶社長を取り上げた回は15日に間違いなく放映したという。テレビ東京さん、疑ってすみません。
真相はこうだ。今月11日(月)に池林房で翻訳家のT口T樹と会ったとき、「テレビの前でずっと待っていたのに、鍛冶が出てこなかったぜ」と私が言うと、「先週じゃなくて今週だよ」とT口T樹が言ったのである。ということは、私がテレビの前で待っていたのは8日のことになる。どう考えてもそうだ。そのときの予告に鍛冶君が出ていたのだから、放映したのはその翌週、つまり15日ということになる。これも間違えようがない。その週の月曜日(11日)に会ったT口T樹が「放映は今週だよ」と言ったことも、15日放映を指している。ちなみに、ニコリの社長鍛冶真起は、私とT口T樹の共通の知り合いである。
以下は、こんなに明白なことをなぜ間違えたのか、その理由である。たいしたことを書くわけではないので、忙しい方は飛ばしてください。
まず一つは、11日の翌週の18日(月)にも池林房で飲み会をやっていて、そこに出席したこと。これは池上冬樹の上京にあわせて開いている定例会で、ここにT口T樹はいなかったのだが、その前日の17日(日)に府中でT口T樹と飲んでいること。だから私の中で、池林房→飲み会→T口T樹→今週とつながってしまったのである。最近はなんだかT口T樹としょっちゅう飲んでいるから、いつのことなのかわからなくなったと思われる。
つまり、その「今週」というのは本当は「15日」のことなのに、「11日」の飲み会がいつの間にか「18日」にすりかわっていたので、こちらも1週押されて「22日」になってしまったというわけだ。
ではその「15日」に私が何をしていたのかということだ。その日は飲み会が入っていなかったので自宅にいたはずだ。だったら、テレビ東京の「世界を変えた100人の日本人」をなぜ見なかったのか。見れば、気がつくじゃん。
実は最近、眠くて眠くて、晩飯を食べるとすぐに寝てしまうのである。ちょうどその「15日」のころは夜8時に寝ていた。で、明け方の4時ごろに起きて、仕事するという生活を送っていたころで(眠いのを我慢しているよりも、このほうが仕事がはかどる)、たぶんその日も寝てしまったのだろう。せっかく鍛冶の雄姿がテレビで紹介されていたというのに、私はすやすや眠ってしまっていたのである。
再放送してくれないかなあ。これはテレビ東京さんにお願い。
武蔵野美術大学短大の生活デザイン学科の非常勤講師になったのは、もう四半世紀近く前のことだ。土曜の午後の授業を担当していたのは、ちょうど競馬を休んでいたころで、土曜は空いていたからだ。今なら無理だったろう。
最初の十年近くは、鷹の台の学校まで通っていた。国分寺から西武国分寺線に乗って数分、鷹の台駅で降りて徒歩数分。新宿から通うと遠い。90分の授業だが、往復の時間を入れれば土曜はほぼそれだけで終わる。それでも通っていたのは、仕事以外の趣味がない私にはそれが息抜きになっていたからだ。講師の先生方と夕方から国分寺に繰り出して飲んだことも数えきれない。
大教室の授業を一年だけ担当したことがあるが、後ろのほうの学生は隣のやつと喋ったり、眠ったり、授業をまったく聞いてないのでイヤになった。出席を取らないのだから、聞く気がないなら出なければいいのだ。翌年から四十〜五十人規模の小教室の授業に戻してもらったが、大教室で授業する先生をいまでも私は尊敬する。あの徒労感によく耐えられるものだ。
私の授業名は「編集計画㈼」というもので、何の制約もないので出版業界のことを中心に講義したが、はたしてあれで役立ったのかどうか、自分ではわからない。本業が忙しくなり、さらに競馬を再開して土曜が空かなくなったということもあり、週末に鷹の台まで通えなくなったのは本の雑誌社が笹塚に引っ越す直前だったと思う。
短大には専攻科というのがあって、卒業生が一年だけ通うコースだが、そこに進むのは毎年十二人前後。その専攻科の学生を相手にする授業に変えてもらったのである。笹塚の事務所まで毎週木曜の午後に学生諸君にきてもらって、奥のソファで講義した。
十二人とはいっても、それは専攻科の学生の総数であり、木曜の午後には私以外にももう一つ授業があって、生徒はどちらかを選択。つまり半分になるので、私が担当するのは毎年五〜六人。奥のソファにぎりぎり座れる人数だ。雰囲気的にはゼミに近い。
もっとも講義は半分くらいで、あとは街中の取材調査実験が中心だった。たとえば、通勤客は車内でどんな活字を読んでいるかを調べるために満員電車に乗り込んだり、あるいはプラットフォームのゴミ箱に捨ててある新聞雑誌などを拾ってきてデータを取ったり、渋谷駅前で待ち合わせている人は何人くらいの人が活字を読んでいるのか、そして何を読んでいるのかを調べるために、さりげなく近寄って覗き込んだり、そういう調査をしてレポートを書くという授業である。
そのレポートの大半は当時の本の雑誌に「活字探検隊」報告として掲載した。それはもちろん、武蔵美のS教授に、こういう企画を考えているんですがどうでしょうと事前に打診し、「それは学生の勉強にもなりますから、どんどん使ってください」と了承をもらったうえでの調査である。
「活字探検隊」報告は、本の雑誌社に出入りするアルバイト学生諸君が担当したものもあるが、当時はその大半が私のゼミ生徒だった。
これは七〜八年続いたろうか。実質的にはそれが私の最後の「授業」といっていい。というのは、その後、武蔵野美術大学の短大が閉校になったのである。で、縁が切れるかと思ったら、S教授が通信教育の責任者になり、そちらで力を貸してくれないだろうかと言われ、それからは年に一度のスクーリングに出かけることになった。最初の数年は吉祥寺の分校(のようなもの)に通い、その後は新宿センタービルに武蔵野美術大学が借りているフロアに通った。年に一度、午後4時間くらいの「授業」をする。「授業」とはいっても、相変わらず最近の出版界について、あれこれとよもやま話をするだけだから、これで授業と言えるのかどうか。
で、先週の金曜、最後の授業を行ったのである。S教授が定年になるまでは付きあうという約束だったのだが、今年でとうとう定年で、私の役目も終わったというわけだ。
それはいいのだが、その最後の「授業」で失敗をしてしまった。最近の雑誌事情の話の中で、数独で好調のパズル雑誌「ニコリ」の話をしたのだ。で、「世界を変えた100人の日本人」という番組が毎週金曜の夜8時からテレビ東京でやっていて、今日、その「ニコリ」の社長の鍛冶君が出ます、と言ってしまったのである。いや、そのときは疑うことなくそう思っていた。
というのは、私の記憶ではその授業の前の週の出来事なのだが、鍛冶が出るというのでその番組を見たのに出てこず、ヘンだなあと思ったら次週予告に出ていたので、なあんだ一週間違えたのか──と思ったという経緯がある。だから、次の週、つまり最後の授業があった日に放映されるのは当然といっていい。で、授業を終えて帰宅して、その番組を見たのだが、鍛冶は全然出てこないので、おやおや。これでは私が嘘をついたことになる。
たぶん考えられるのは、私が予告を見たのはその前の週ではなく、2週前のことで、肝心要の放映日にはすっかり忘れて見なかったのだろう。で、その忘れたことまで忘れ、最後の授業の日がその放映日だと勘違いしたと思われる。それしか考えられない。
しかしなあ、なんだかすっきりしない。狐につままれたような気分である。放映しなかったんじゃないかテレビ東京。
3ヵ月で10キロ減量したあと、体重計はぴたりと止まって動かない。それまでと同じダイエットをしているのに、1ヵ月間まったく変化なしなのだ。この間に減った10キロは2年間に増えた分なので、つまりは短期間についた余分な重さである。だから簡単に落ちたとも言える。ところがこの先は長い年月の間に増えた分であるから、そう簡単には落ちない。そういうことではないのか。
これ以上体重を落とすためには、やはり運動を取り入れなければだめなのか。しかし運動せずに過食を続けてきたから太ったのであり、運動をして痩せてもいずれ運動しなくなるのは目に見えているから、そうすると絶対にリバウンドする──という説を信じているので、なるべく食事制限だけで体重を落としたいのである。
でも、もうこれ以上は無理かなあ。油断すると、せっかく10キロ減ったというのに、こっそり1キロくらい増えていたりするのだ。だから、ダイエット生活を続けているのは体重を減らすというよりも、ただいまの体重をキープするためだったりするのである。なんだか目標が小さいような気がする。これじゃあなあ。もう少し落としたいなあ。でも無理かなあ。で、ちょっと弱気になっていたら知人からメールがきた。これがすごくいいメールだったのでご紹介したい。
「停滞期というのは、必ずその後に痩せられる試練の時間である」
というのだ。おお、素晴らしい。
本当にその通りなのかどうかは知らないが、これほど励まされるメッセージはない。そして体重がぴくりとも動かない1ヵ月間が過ぎ、2ヵ月目に入ったとき、その時を待っていたかのように、体重計の針がぴくんと1キロ下に動いたのである。おお、本当だ。
このまま順調に減量が続いていくのかどうか、それはわからない。年内はこのまま続けると決意したので私は続けていくが、その後のことは年末にまた決めたいと思う。
ところが毎年ゴールデンウィークに冬物をしまい、夏物を出すことにしているのだが、夏のズボンをだしてみると、なんとぶかぶか。そうか、10キロ痩せたんだから、去年履いていたものは使えないのは仕方ないか。仕方ないので買いに行くことにした。
その具体的な数字を書くのは恥ずかしいが、勇気をふるって書くと、私のウェストのサイズは36インチだった。91センチである。だから、その一つ下のサイズ、すなわち35インチのズボンを履いてみたのである。ところがまだ緩い。で、店員さんを呼んで、もう一つ下のサイズにするときつくなりますかと尋ねてみた。するとその彼は、私のウェストまわりをさっと見るなり、「いや、32インチでしょう」と言うからびっくり。
36インチのズボンがぶかぶかになって買いに行ったのである。ところが、35インチで少し緩いから、もう一つ下の34インチかなあと思ったのである。それなのに店員氏は、33インチを飛ばして32インチをすすめるのである。それはいくらなんでも無理だろうと思ったから、なんとぴったり。
つまり、36インチからいきなり32インチへのダウン。32インチというのは81センチである。つまり体重が10キロ減るのに合わせてウェストが10センチ細くなったのである。世間の人に比べれば、これでもまだ太めであることは事実だが、いやあびっくりしました。
しかし、これからこの体型に合わせてズボン以外の洋服を全部買い直さなければならないとは面倒くさい。中年になりかけのころ毎年のように太って、そのたびに洋服を買い直し、余分な出費がかさんだものだが、痩せるのも同様なのである。そこでひらめいた。体型が変わるたびに洋服を買い直すからいけないのだ。全部捨てずに取っておけば、たとえば65キロ用、70キロ用、75キロ用、80キロ用、85キロ用、90キロ用と6パターンくらい揃えておけば、どれほど急激に太っても、あるいは痩せても、いつでも万全の態勢ではないか。夏物、冬物と揃えなければならないから、膨大なスペースを必要とし、現実的には無理な話なんだけどね。
『本の雑誌』の後ろのほうに「今月書いた人」というページがある。ここを開いてぼんやりと見ていたら、どきっとした。というのは、そこに、
「北上次郎(46)」
という一行があったからだ。これを見た途端、「オレって46歳?」と思ってしまった。このページの頭に、「原稿到着順・括弧内の数字は登場ページ」とあるので、この「46」という数字は、北上次郎がこの号の何ページに原稿を書いているのかという数字であることは明白なのだが、それに自分の年齢は自分で知っているから46歳のはずはないのだが、一瞬、そんな錯覚をしてしまうのである。
不思議なことに、
「吉野仁(111)」
という一行を見ても、吉野仁が111歳だとは思わない。すっごい年取ったやつなんだとは思わないのである。
「沼野恭子(11)」
という一行を見ても、小学生とは思わないし、
「高野秀行(86)」
という一行を見ても、年のわりに元気だよなあとは思わないのである。なぜか、自分のところだけ「46」という数字を見ると、若々しい気分が立ち上がってくるのだ。
まったく不思議である。いや、それだけの話なんだけど。
というのは今回の枕で、本題はここから。その『本の雑誌』6月号で、「これは大変だ」と立ち上がったのである。今年の始めごろ、週刊朝日の映画コラムを読んで、「これは大変だ」と立ち上がったことがあるが、つまり本年二発目。
立ち上がったのは、風野春樹氏の「サイコドクターの日曜日」というコラムを読んだときだ。真ん中の色ページです。
ここで風野春樹氏は、ずいぶん前に文春文庫から翻訳が出て、いまは切れているジェリー・ユルスマン『エリアンダー・Mの犯罪』を復刊せよと書いているのだが、これがすこぶる面白そうなのだ。
1913年のウィーンで、イギリス人の淑女がカフェで画学生の若者を射殺する場面から始まるが、時は移り、1983年ニューヨーク。夫と離婚したばかりのレスリーは祖母エリアンダーが娼婦で、しかも人を殺したというショッキングな事実を知らされる。そして父の遺品の中から見つかったのはタイム・ライフ版『第二次世界大戦史』という奇妙な本。でも、第二次世界大戦って何?
風野氏のコラムからこのように引用するだけで、ぞくぞくしてくる。もちろん、画学生の若者はヒトラー。ヒトラーが死んでしまったので第二次世界大戦は起きなかったというわけ。しかしそういうアイディアだけの小説ではないことは、風野氏の次の紹介で明らかだ。
「何よりも堂々と自らの信念に従って生きるエリアンダー・モーニングという女性が魅力的に描かれているのが素晴らしい。特にラストシーンで白いパラソルを広げた姿の鮮烈さはいつまでも心に残る」
おお、読みたい。タイトルに記憶はあるのだが、風野氏の紹介を読むとその内容にまったく記憶がないので未読の可能性が高いのである。。読んでいて忘れている、という可能性もあるのだが、こんな面白そうな時間SFを忘れるだろうか。その可能性もあるから油断できないのだが。
本棚のどこかにはあるんだろうが、探していると何年もかかりそうなので、文春文庫さん、ぜひ復刊を。