2月9日(火)
- 『雲遊天下 101』
- ビレッジプレス
- 525円(税込)
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週末に京都へ行ってきたのだが、金曜の早い時間に到着し、そのままホテルで読書し続けたら持っていった本を読み終えてしまった。あとは競馬するだけだから(帰りの新幹線はいつも疲れていて読書できないし)、もう本は必要ないのだが、万が一ということがある。やはり余分な本が身近にないと落ちつかない。そこで四条烏丸の大垣書店を覗いてから四条通りのジュンク堂にいくと、そこで「雲遊天下」という雑誌を発見。
この号の特集は「雑誌のゆくえ」というもので、彷書月刊の編集長田村治芳氏インタビューが載っている(聞き手は岡崎武志氏)。そこで、「本の雑誌」に触れて「その号数が一ケタの時代はすごく面白かった覚えがある」(田村)、「なんだか過激で勢いがありましたね。文庫をビルから落としてどれが一番丈夫かとか」(岡崎)、「そういうなんだかくだらない力があった気がするよね。それで、二ケタくらいになるとあんまり読まなくなった」(田村)という会話が続いているのだが、ここを立ち読みしていたら、30年ほど前に京都に営業できたとき、四条河原町の書店で購入した雑誌のことを思い出した。
以前もどこかで書いたのだが、本の雑誌の事務所を四谷三丁目のビルの5階に作った年、関西方面に営業に出掛けたことがあるのだ。で、ある書店のレジに積まれていた雑誌を買って、その夜ビジネスホテルの一室で読んでいたら、あまりの面白さに笑い転げてしまったのである。「大学対抗ラッタッタ京都市内駅伝競走」という特集があって、ようするに京都市内を50ccのバイクでリレー競走するだけのことだから超くだらないのだが、そのレポートを書いた人のセンスが抜群なのだ。つまり「文庫をビルから落としてどれが一番丈夫かとか」調べるだけの話が面白くなるのはそのレポート筆者(本の雑誌の場合は若き日の椎名誠)次第なのである。レポート筆者の文章が面白くなければ、超くだらない企画は、くだらないまま終わってしまうのである。
「大学対抗ラッタッタ京都市内駅伝競走」(これがそのときの正確なタイトルなのかどうか、実はよくわからないが、だいたいこんな感じ)が最高に面白かったのも、その原稿を書いた人のセンスが素晴らしかったからだろう。つまり、若き日の椎名誠に匹敵する才能の持ち主が(いや椎名を超えていたかもしれない)、当時の京都の学生にいたということだ。そのときの雑誌名も、そのときの執筆者の名前も、覚えていないのは残念だ。覚えているのは、京都の大学生たちが趣味で作っている雑誌だった、ということだけだ。
当時の私は本の雑誌の発行人なのだから、それほどの才能の持ち主と見込んだのなら、名前と連絡先を控えて、帰京してからでも原稿を依頼すべきだったろう。そういうことをいっさいせず、ただ読者として面白がるだけで終わってしまうのだから、今となっては信じられない。こういうやつが発行人をやっていたのである。
そのとき私が泊まったビジネスホテルは壁が薄く、隣室からゴホッゴホッと咳の音が聞こえてくるほどだったので、笑い声を押さえるのに必死だった。声をあげて笑いたくなるほど超面白かった。
そのことを久々に思い出し、その「雲遊天下」という雑誌を新刊と一緒に購入してホテルに戻った。で、翌日の検討をする前に読み始めたら、その雑誌の発行元は東京だった。てっきり京都の雑誌かと思っていたのだが、私の早とちりであった。
この号の特集は「雑誌のゆくえ」というもので、彷書月刊の編集長田村治芳氏インタビューが載っている(聞き手は岡崎武志氏)。そこで、「本の雑誌」に触れて「その号数が一ケタの時代はすごく面白かった覚えがある」(田村)、「なんだか過激で勢いがありましたね。文庫をビルから落としてどれが一番丈夫かとか」(岡崎)、「そういうなんだかくだらない力があった気がするよね。それで、二ケタくらいになるとあんまり読まなくなった」(田村)という会話が続いているのだが、ここを立ち読みしていたら、30年ほど前に京都に営業できたとき、四条河原町の書店で購入した雑誌のことを思い出した。
以前もどこかで書いたのだが、本の雑誌の事務所を四谷三丁目のビルの5階に作った年、関西方面に営業に出掛けたことがあるのだ。で、ある書店のレジに積まれていた雑誌を買って、その夜ビジネスホテルの一室で読んでいたら、あまりの面白さに笑い転げてしまったのである。「大学対抗ラッタッタ京都市内駅伝競走」という特集があって、ようするに京都市内を50ccのバイクでリレー競走するだけのことだから超くだらないのだが、そのレポートを書いた人のセンスが抜群なのだ。つまり「文庫をビルから落としてどれが一番丈夫かとか」調べるだけの話が面白くなるのはそのレポート筆者(本の雑誌の場合は若き日の椎名誠)次第なのである。レポート筆者の文章が面白くなければ、超くだらない企画は、くだらないまま終わってしまうのである。
「大学対抗ラッタッタ京都市内駅伝競走」(これがそのときの正確なタイトルなのかどうか、実はよくわからないが、だいたいこんな感じ)が最高に面白かったのも、その原稿を書いた人のセンスが素晴らしかったからだろう。つまり、若き日の椎名誠に匹敵する才能の持ち主が(いや椎名を超えていたかもしれない)、当時の京都の学生にいたということだ。そのときの雑誌名も、そのときの執筆者の名前も、覚えていないのは残念だ。覚えているのは、京都の大学生たちが趣味で作っている雑誌だった、ということだけだ。
当時の私は本の雑誌の発行人なのだから、それほどの才能の持ち主と見込んだのなら、名前と連絡先を控えて、帰京してからでも原稿を依頼すべきだったろう。そういうことをいっさいせず、ただ読者として面白がるだけで終わってしまうのだから、今となっては信じられない。こういうやつが発行人をやっていたのである。
そのとき私が泊まったビジネスホテルは壁が薄く、隣室からゴホッゴホッと咳の音が聞こえてくるほどだったので、笑い声を押さえるのに必死だった。声をあげて笑いたくなるほど超面白かった。
そのことを久々に思い出し、その「雲遊天下」という雑誌を新刊と一緒に購入してホテルに戻った。で、翌日の検討をする前に読み始めたら、その雑誌の発行元は東京だった。てっきり京都の雑誌かと思っていたのだが、私の早とちりであった。