4月26日(火)阿佐田哲也の短編について
- 『阿佐田哲也麻雀小説自選集 (文春文庫)』
- 阿佐田 哲也
- 文藝春秋
- 1,020円(税込)
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『色川武大阿佐田哲也全集』(福武書店)という全十六巻の全集が、1990年代の初頭に出たことがある。いまから20年も前のことなので覚えている方も少ないかもしれないが、私には忘れがたい全集だ。というのは、この全集の7巻から11巻までの5巻分が阿佐田哲也の巻なのだが(12巻から16巻はエッセイの巻で、この中にも阿佐田哲也のエッセイが収められているが)、その5巻分の解題を私が書いているからだ。
阿佐田哲也は大好きな作家だったが、この作家について書く機会は少なかった。『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝2』講談社文庫版(1990年)の解説を書いたくらいで、あとは書いていない。と思っていたのだが、たったいま調べてみたら、『雀鬼くずれ』(角川文庫)という短編集の解説を書いていたことが判明。これは2008年9月に改版されたときの解説だ。
それはともかく、『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝2』の話である。この講談社文庫版も思い出深い。というのは、締め切りまでわずかしかないという依頼だったのだ。これは誰かがドタキャンしたんだなと思ったが、そのときの編集の方はとても正直な方で、やっぱりその通りだった。そのときドタキャンした方の名前は今でも覚えているが、ここには書かないでおく。当時は「本の雑誌」の編集もあって忙しかったのだが(この年に書いた文庫解説は6本、翌年は1本、翌々年は3本というころである)、その仕事を引き受けたのは、阿佐田哲也についてとにかく書きたいと思っていたからだ。
この文庫解説が当時福武書店にいたOさん(のちに朝日新聞社に移る)の目に止まったのだから、どこでどう繋がるかわからない。Oさんは『色川武大阿佐田哲也全集』の担当者で、「阿佐田哲也の巻」の解題執筆者を探していたのである。
そのときに書いた5巻分の解題100枚のうち、80枚は『余計者の系譜』(太田出版1993年刊/のちに角川文庫。このときに『余計者文学の系譜』と改題)に収録したが、最後の20枚だけそのままになっていた。その理由については『余計者の系譜』のあとがきにこうある。
「全面的に削除したのは第11巻『阿佐田哲也短編小説選』の改題20枚で、これは阿佐田哲也の全短編から27編を選び、作品の発表順ではなく、その背景となった時代の変遷順に配列することで、戦後のばくち打ちの変遷を浮き彫りにするというお遊びがミソ。したがって、こればかりは作品とともに読まないと興趣も半減するので、ここでは削除した。もっとも全集のほうはどういうわけか、私の改題で示した版列とは関係なく作品が並び、改題の内容がなんのことやらわからなかったというオチがついた。本人は大変気にいっていたお遊びだというのにこれは残念」
この『阿佐田哲也短編小説選』の改題20枚を読みたい、とある日突然思ったのである。それが今回の話の幕開け。前置きが長くてすみません。
1990年代の初頭に刊行された全集であるから、まだパソコン導入前のことである。しかしパソコンを導入したときに、ワープロ時代の原稿をすべてテキスト変換してパソコンのハードディスクに入れたから、簡単に読むことが出来るはず。ところが7巻から10巻までの解題はハードディスクに入っているのだが、第11巻『阿佐田哲也短編小説選』の解題がなぜか入っていない。ワープロ導入以降の原稿は全部パソコンのハードディスクに入っているはずなのに、ときどきこういうことがある。
解題を書いた全集であるから、刊行時にはもちろん全巻寄贈されている。パソコンのハードディスクに入っていなくても、その現物を開けばいい。簡単なことである。問題はその全集が全然見当たらないことだ。全16巻が丸ごとないのだ。そんなことがあるだろうか。いや、ホントにないのだ。どこにいっちゃったのか。だから、20年前に『阿佐田哲也短編小説選』を編んだときに、その巻末にいったい何を書いたものやら確認できない。
ハードディスクにも入っていなくて、現物もないとなれば、あとは古本屋で購入するしかない。で、仕方なくその11巻を古本屋で買ったのである。古本屋には全集の揃いもあったのだが、迷った末に購入するのは第11巻だけにした。
というわけで、自分の書いた原稿とようやく20年ぶりに体面したわけだが、なるほどね、たしかにこの解題は作品とともに読んだほうがいい。だから『余計者の系譜』のときに収録しなかったのも仕方がない。これだけ時間と手間をかけて、そんな当たり前のことを確認しただけかよ、と思わず突っ込みたくなったが、気になっていたことが一つ減っただけでもいいのである。
ところでその解題の末尾には、阿佐田哲也のベスト1短編名があがっていた。もちろん、「シュウシャインの周坊」だ。そこで私はこう書いている。
この短編は、「友だちが欲しかった。いや、単に友だちという言葉ではいいつくせない相棒が欲しかった」という冒頭の一行から絶妙なラストまで、法の外に生き無頼漢の孤独を見事に描いた傑作であると思う。
この短編は現在、阿佐田哲也『麻雀小説自選集』(文春文庫)で読むことが出来る。
阿佐田哲也は大好きな作家だったが、この作家について書く機会は少なかった。『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝2』講談社文庫版(1990年)の解説を書いたくらいで、あとは書いていない。と思っていたのだが、たったいま調べてみたら、『雀鬼くずれ』(角川文庫)という短編集の解説を書いていたことが判明。これは2008年9月に改版されたときの解説だ。
それはともかく、『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝2』の話である。この講談社文庫版も思い出深い。というのは、締め切りまでわずかしかないという依頼だったのだ。これは誰かがドタキャンしたんだなと思ったが、そのときの編集の方はとても正直な方で、やっぱりその通りだった。そのときドタキャンした方の名前は今でも覚えているが、ここには書かないでおく。当時は「本の雑誌」の編集もあって忙しかったのだが(この年に書いた文庫解説は6本、翌年は1本、翌々年は3本というころである)、その仕事を引き受けたのは、阿佐田哲也についてとにかく書きたいと思っていたからだ。
この文庫解説が当時福武書店にいたOさん(のちに朝日新聞社に移る)の目に止まったのだから、どこでどう繋がるかわからない。Oさんは『色川武大阿佐田哲也全集』の担当者で、「阿佐田哲也の巻」の解題執筆者を探していたのである。
そのときに書いた5巻分の解題100枚のうち、80枚は『余計者の系譜』(太田出版1993年刊/のちに角川文庫。このときに『余計者文学の系譜』と改題)に収録したが、最後の20枚だけそのままになっていた。その理由については『余計者の系譜』のあとがきにこうある。
「全面的に削除したのは第11巻『阿佐田哲也短編小説選』の改題20枚で、これは阿佐田哲也の全短編から27編を選び、作品の発表順ではなく、その背景となった時代の変遷順に配列することで、戦後のばくち打ちの変遷を浮き彫りにするというお遊びがミソ。したがって、こればかりは作品とともに読まないと興趣も半減するので、ここでは削除した。もっとも全集のほうはどういうわけか、私の改題で示した版列とは関係なく作品が並び、改題の内容がなんのことやらわからなかったというオチがついた。本人は大変気にいっていたお遊びだというのにこれは残念」
この『阿佐田哲也短編小説選』の改題20枚を読みたい、とある日突然思ったのである。それが今回の話の幕開け。前置きが長くてすみません。
1990年代の初頭に刊行された全集であるから、まだパソコン導入前のことである。しかしパソコンを導入したときに、ワープロ時代の原稿をすべてテキスト変換してパソコンのハードディスクに入れたから、簡単に読むことが出来るはず。ところが7巻から10巻までの解題はハードディスクに入っているのだが、第11巻『阿佐田哲也短編小説選』の解題がなぜか入っていない。ワープロ導入以降の原稿は全部パソコンのハードディスクに入っているはずなのに、ときどきこういうことがある。
解題を書いた全集であるから、刊行時にはもちろん全巻寄贈されている。パソコンのハードディスクに入っていなくても、その現物を開けばいい。簡単なことである。問題はその全集が全然見当たらないことだ。全16巻が丸ごとないのだ。そんなことがあるだろうか。いや、ホントにないのだ。どこにいっちゃったのか。だから、20年前に『阿佐田哲也短編小説選』を編んだときに、その巻末にいったい何を書いたものやら確認できない。
ハードディスクにも入っていなくて、現物もないとなれば、あとは古本屋で購入するしかない。で、仕方なくその11巻を古本屋で買ったのである。古本屋には全集の揃いもあったのだが、迷った末に購入するのは第11巻だけにした。
というわけで、自分の書いた原稿とようやく20年ぶりに体面したわけだが、なるほどね、たしかにこの解題は作品とともに読んだほうがいい。だから『余計者の系譜』のときに収録しなかったのも仕方がない。これだけ時間と手間をかけて、そんな当たり前のことを確認しただけかよ、と思わず突っ込みたくなったが、気になっていたことが一つ減っただけでもいいのである。
ところでその解題の末尾には、阿佐田哲也のベスト1短編名があがっていた。もちろん、「シュウシャインの周坊」だ。そこで私はこう書いている。
この短編は、「友だちが欲しかった。いや、単に友だちという言葉ではいいつくせない相棒が欲しかった」という冒頭の一行から絶妙なラストまで、法の外に生き無頼漢の孤独を見事に描いた傑作であると思う。
この短編は現在、阿佐田哲也『麻雀小説自選集』(文春文庫)で読むことが出来る。