5月19日(木)大沢在昌の著作数
- 『ダブル・トラップ〈新装版〉 (徳間文庫)』
- 大沢在昌
- 徳間書店
- 670円(税込)
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- 『書中日記』
- 坪内 祐三
- 本の雑誌社
- 1,680円(税込)
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新刊書店の文庫コーナーを歩いていたら、大沢在昌『ダブル・トラップ』(徳間文庫)が新刊文庫として並んでいたので手に取ると、この巻末に大沢在昌の著作リストが載っていた。それを見て、おやっと思った。
大沢在昌のデビュー本は、『標的走路』(双葉ノベルス)で、その刊行は1980年12月だ。つまり大沢在昌はデビューしてから30年がたったことになる。もうそんなにたつとは感慨深い。では、この30年間にこの作家は何作の本を上梓したと思いますか。
その数が意外だったのである。デビュー30年なら、年間10作で合計300点ということになるが、そんなに多作の作家ではないだろうから(調べたわけではないがそういう印象がある)、年間5点くらいか。それでも30年なら合計で150点になる。その前後ではないかというのが漠然とした印象であった。
正解は、1980年12月の『標的走路』から、2011年2の『カルテット4 解放者』まで、なんと86点。えっ、と思った。30年間に86点ということは、年に3点弱だ。そんなものなんですか? これは意外だった。
大沢在昌の著作がもっと多いと思っていたのは、その著作の大半が文庫になり、その文庫も多くは二次文庫、三次文庫として刊行されているからだ。たとえば、著作リストから引けば、1985年に双葉ノベルスから出た『漂泊の街角』は、1988年に双葉文庫に入ったのち、1992年にケイブンシャ文庫に入り、1995年に角川文庫に入っている。こうして何度もおつとめするケースが多い。大沢在昌の新刊をしょっちゅう書店で見ているような錯覚があるのはそのためか。
大沢在昌と同時代にデビューした作家たち、たとえば北方謙三、逢坂剛、志水辰夫、船戸与一らの著作数は何点なのか。そういう中で、この大沢在昌の86点は少ないのか平均なのか、を知りたいと思う。調べればすぐにわかるんだろうが。
ところで、この『ダブル・トラップ』は大沢在昌の処女長編である。本としては1980年12月の『標的走路』が最初だが、1981年3月刊の本書が第一長編だ。今回の徳間文庫版巻末の著作リストを見ると、1981年にSUNノベルス(太陽企画出版)から刊行され、1984年に徳間文庫、1991年に集英社文庫、そして今回が新装版(奥付記載の発行日は2011年5月15日)と四度目のおつとめだ。
この『ダブル・トラップ』が懐かしいのは、1981年のSUNノベルス版(太陽企画出版)の解説を私が書いているからだ。私の手元にある「北上次郎解説文庫リスト」(という見出しだが、文庫以外の書目もただし書き付きで明記。北海道の山下さんが作ってくれたものをたたき台にして、その後判明したものを一つずつ書き入れている)を見ると、おお、また抜け落ちている。時々、こういうことがあるとそのたびに手元のリストに書き加えているのだが、今でもこうして時々、新発見がある。
そうだ、坪内祐三『書中日記』(本の雑誌社)を読んでいて、思い出したことも書いておく。その172ページに、長野祐二『プレイボーイ入門』(村松書館)の解説を北上次郎が書いていたとの記述が出てくるのである。これもすっかり忘れていた。文庫ではないが、この巻末に私は解説文を寄せていたのだ。もう二十年近く前のことだと思う。念のために「北上次郎解説文庫リスト」を取り出してみると、おやおや、抜け落ちている。それでは、これもリストにいれておこう。
しかしこの『書中日記』は「本の雑誌」に連載中のものをまとめたものだから、私は連載中に読んでいるのだ。そのときにはチェックせず、いまごろになって「北上次郎解説文庫リスト」を取り出して、おお、抜け落ちていると気がつくとは間が抜けている。ようするに、それほど熱心にリストの完成を目指しているわけではないということだろう。ふと気がついたときにやればいい、と思っているのである。
大沢在昌のデビュー本は、『標的走路』(双葉ノベルス)で、その刊行は1980年12月だ。つまり大沢在昌はデビューしてから30年がたったことになる。もうそんなにたつとは感慨深い。では、この30年間にこの作家は何作の本を上梓したと思いますか。
その数が意外だったのである。デビュー30年なら、年間10作で合計300点ということになるが、そんなに多作の作家ではないだろうから(調べたわけではないがそういう印象がある)、年間5点くらいか。それでも30年なら合計で150点になる。その前後ではないかというのが漠然とした印象であった。
正解は、1980年12月の『標的走路』から、2011年2の『カルテット4 解放者』まで、なんと86点。えっ、と思った。30年間に86点ということは、年に3点弱だ。そんなものなんですか? これは意外だった。
大沢在昌の著作がもっと多いと思っていたのは、その著作の大半が文庫になり、その文庫も多くは二次文庫、三次文庫として刊行されているからだ。たとえば、著作リストから引けば、1985年に双葉ノベルスから出た『漂泊の街角』は、1988年に双葉文庫に入ったのち、1992年にケイブンシャ文庫に入り、1995年に角川文庫に入っている。こうして何度もおつとめするケースが多い。大沢在昌の新刊をしょっちゅう書店で見ているような錯覚があるのはそのためか。
大沢在昌と同時代にデビューした作家たち、たとえば北方謙三、逢坂剛、志水辰夫、船戸与一らの著作数は何点なのか。そういう中で、この大沢在昌の86点は少ないのか平均なのか、を知りたいと思う。調べればすぐにわかるんだろうが。
ところで、この『ダブル・トラップ』は大沢在昌の処女長編である。本としては1980年12月の『標的走路』が最初だが、1981年3月刊の本書が第一長編だ。今回の徳間文庫版巻末の著作リストを見ると、1981年にSUNノベルス(太陽企画出版)から刊行され、1984年に徳間文庫、1991年に集英社文庫、そして今回が新装版(奥付記載の発行日は2011年5月15日)と四度目のおつとめだ。
この『ダブル・トラップ』が懐かしいのは、1981年のSUNノベルス版(太陽企画出版)の解説を私が書いているからだ。私の手元にある「北上次郎解説文庫リスト」(という見出しだが、文庫以外の書目もただし書き付きで明記。北海道の山下さんが作ってくれたものをたたき台にして、その後判明したものを一つずつ書き入れている)を見ると、おお、また抜け落ちている。時々、こういうことがあるとそのたびに手元のリストに書き加えているのだが、今でもこうして時々、新発見がある。
そうだ、坪内祐三『書中日記』(本の雑誌社)を読んでいて、思い出したことも書いておく。その172ページに、長野祐二『プレイボーイ入門』(村松書館)の解説を北上次郎が書いていたとの記述が出てくるのである。これもすっかり忘れていた。文庫ではないが、この巻末に私は解説文を寄せていたのだ。もう二十年近く前のことだと思う。念のために「北上次郎解説文庫リスト」を取り出してみると、おやおや、抜け落ちている。それでは、これもリストにいれておこう。
しかしこの『書中日記』は「本の雑誌」に連載中のものをまとめたものだから、私は連載中に読んでいるのだ。そのときにはチェックせず、いまごろになって「北上次郎解説文庫リスト」を取り出して、おお、抜け落ちていると気がつくとは間が抜けている。ようするに、それほど熱心にリストの完成を目指しているわけではないということだろう。ふと気がついたときにやればいい、と思っているのである。