7月19日(火)後白河法皇と源義経
- 『梁塵秘抄 (光文社古典新訳文庫)』
- 光文社
- 820円(税込)
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- 『後白河院―王の歌』
- 五味 文彦
- 山川出版社
- 1,890円(税込)
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- 『義経になった男(一)三人の義経 (ハルキ文庫 ひ 7-3 時代小説文庫)』
- 平谷美樹
- 角川春樹事務所
- 720円(税込)
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後白河法皇編纂『梁塵秘抄』(川村湊訳/光文社古典新訳文庫)という本がある。そのまえがきにこうある。
『梁塵秘抄』は日本の中世期、十一世紀後半から十二世紀にかけて、京の都を中心に流行した「今様」という歌謡の歌詞を集めたものです。編纂者は後白河法皇で、当時の社会の下層民だった遊女や傀儡子などの芸能民が専らとした芸能を、天皇としては退位したものの事実上の政治力を保持し、権謀術数に長けていたといわれる法皇の後白河院がまとめたものですから、日本の文学史上、文化史上で、きわめて異色の古典文学作品であるといえます。
表4の惹句がわかりやすくこの書の特徴を伝えているので、それも引いておく。
「歌の練習に明け暮れ、声を嗄らし喉を潰すこと、三度。サブ・カルチャーが台頭した中世、聖俗一体の歌謡のエネルギーが、後白河法皇を熱狂させた。画期的新訳による中世流行歌100選!」
この訳が本当にすごいのである。たとえば、冒頭の歌はこうだ。
そよそよと しだれ柳に 下がり藤 匂いも盛り 咲きほこる
ゆれて もつれて からみあい そよそよ 風に なびきあう
やれやれ うれしや あれあれ たのしや このあそび
この歌の原歌は、次の通り。
そよな 小柳によな 下がり藤の花よな 咲き匂えけれ えりな 睦れ戯れ
や うち靡きよな 青柳のや や いとぞめでたきや なにな そよな
もう一つ引く。「ギャンブラーの好むもの」と題した歌。
ギャンブラーの好むもの トランプ 花札 ルーレット
やっぱり 丁半 サイコロ賭博
壺を振る手も かっこいい 鶴田浩二に 高倉健
藤純子も イカしてた
この原歌は、
博打の好む物 平骰子鉄骰子四三骰子 それをば誰か打ち得たる
文三刑三月々清次とか
鶴田浩二も高倉健も出てこないぞと思うのは当然だが、実は原歌にある「文三」「刑三」「月々清次」というのは、当時評判の博打打ち(の芸名)だったので、それをそのままの人名では芸がないので、やくざ映画で博打打ちを演じさせたら右に出るもののない、三人の東映映画の俳優の名前に変えた、というのだ。
このように自由奔放な訳なので、読んでいると飽きない。いやあ、面白いと思っていたら、五味文彦『後白河院──王の歌』(山川出版社)という本が出て、その書評が6月19日の毎日新聞に載った。評者は丸谷才一だ。
その中から、おやっと思った箇所を引く。
「興味深いのは、五味が、源義経の悲劇的な晩年は彼が院の招きを受けて院の近臣への道を歩もうとしたせいだとしていることで、これは清新にしてかつ説得力に富む解釈である」
私は後白河法皇についても、源義経についても、詳しいことを知らないので、この「院の招きを受けて院の近臣への道を歩もうとした」というのが具体的に何を指すのかがよくわからないのだが、読み終えたばかりの平谷美樹『義経になった男』(ハルキ文庫全5巻)をここで思い出した。
この波瀾万丈の傑作小説で後白河法皇がどのように描かれていたのか、まったく覚えていないことに気づき、もう一度全5巻を読み返すのはしんどいし、でも知りたいし、先に『梁塵秘抄』を読んでいればよかったなあと思ったのである。
『梁塵秘抄』は日本の中世期、十一世紀後半から十二世紀にかけて、京の都を中心に流行した「今様」という歌謡の歌詞を集めたものです。編纂者は後白河法皇で、当時の社会の下層民だった遊女や傀儡子などの芸能民が専らとした芸能を、天皇としては退位したものの事実上の政治力を保持し、権謀術数に長けていたといわれる法皇の後白河院がまとめたものですから、日本の文学史上、文化史上で、きわめて異色の古典文学作品であるといえます。
表4の惹句がわかりやすくこの書の特徴を伝えているので、それも引いておく。
「歌の練習に明け暮れ、声を嗄らし喉を潰すこと、三度。サブ・カルチャーが台頭した中世、聖俗一体の歌謡のエネルギーが、後白河法皇を熱狂させた。画期的新訳による中世流行歌100選!」
この訳が本当にすごいのである。たとえば、冒頭の歌はこうだ。
そよそよと しだれ柳に 下がり藤 匂いも盛り 咲きほこる
ゆれて もつれて からみあい そよそよ 風に なびきあう
やれやれ うれしや あれあれ たのしや このあそび
この歌の原歌は、次の通り。
そよな 小柳によな 下がり藤の花よな 咲き匂えけれ えりな 睦れ戯れ
や うち靡きよな 青柳のや や いとぞめでたきや なにな そよな
もう一つ引く。「ギャンブラーの好むもの」と題した歌。
ギャンブラーの好むもの トランプ 花札 ルーレット
やっぱり 丁半 サイコロ賭博
壺を振る手も かっこいい 鶴田浩二に 高倉健
藤純子も イカしてた
この原歌は、
博打の好む物 平骰子鉄骰子四三骰子 それをば誰か打ち得たる
文三刑三月々清次とか
鶴田浩二も高倉健も出てこないぞと思うのは当然だが、実は原歌にある「文三」「刑三」「月々清次」というのは、当時評判の博打打ち(の芸名)だったので、それをそのままの人名では芸がないので、やくざ映画で博打打ちを演じさせたら右に出るもののない、三人の東映映画の俳優の名前に変えた、というのだ。
このように自由奔放な訳なので、読んでいると飽きない。いやあ、面白いと思っていたら、五味文彦『後白河院──王の歌』(山川出版社)という本が出て、その書評が6月19日の毎日新聞に載った。評者は丸谷才一だ。
その中から、おやっと思った箇所を引く。
「興味深いのは、五味が、源義経の悲劇的な晩年は彼が院の招きを受けて院の近臣への道を歩もうとしたせいだとしていることで、これは清新にしてかつ説得力に富む解釈である」
私は後白河法皇についても、源義経についても、詳しいことを知らないので、この「院の招きを受けて院の近臣への道を歩もうとした」というのが具体的に何を指すのかがよくわからないのだが、読み終えたばかりの平谷美樹『義経になった男』(ハルキ文庫全5巻)をここで思い出した。
この波瀾万丈の傑作小説で後白河法皇がどのように描かれていたのか、まったく覚えていないことに気づき、もう一度全5巻を読み返すのはしんどいし、でも知りたいし、先に『梁塵秘抄』を読んでいればよかったなあと思ったのである。