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8月30日(火)本探し

 日曜の夜に小倉から帰京し、きのうの月曜日は昼から新宿へ。ジュンク堂にいっても目当ての本はなく、紀伊國屋書店本店に行ってもないから、若い男性店員に尋ねると親切に調べてくれる。角川書店の「本の旅人」が自宅に届いていたのでそれを朝読んでいたら、『ワナビー』という新刊の書評が載っていて、これが面白そうなのである。今週の水曜が日経新聞のコラムの締め切り日なのだが、まだテキストが見つからず、おお、これでいいじゃんと買いに行ったわけ。ところが書名を控えていかなかったので、男性店員氏に調べてもらったのだ。角川の新刊、ということでホームページを検索してもらうとありました。すると、その本は8月31日発売で、まだ入荷前とのこと。えっ、だって「本の旅人」にもう出ている本として紹介されていたんだけど。つまり「本の旅人」もたぶん月末発売の号が数日前に送られてきたんですね。そうか、まだ出ていないのか。南店にもないということなので、たぶん無理だろうなと思いながら、せっかく新宿まできたんだからとブックファーストへ。やっぱりなく、うなだれて帰途。なんのために新宿に行ったんだか。

 急いでいない本探しもしょっちゅうあって、ただいま探しているのは、1970年代の初頭に出ていた晶文社の「文学のおくりもの」と、大和書房の「夢の王国」シリーズ。そのそれぞれのラインアップを知りたいのだが、便利なものでネットを調べるとずらずら出てくる。晶文社の「文学のおくりもの」は1期7巻で全4期まで出たので合計28巻。その書名まですべて判明。もっとも第1回配本のブラッドベリ『たんぽぽのお酒』に挟まれていた版元チラシの文面を知りたくて、結局は古本屋に行ってチラシを確認してから購入したから、すべてネットで済むというものではない。

 さらに大和書房の「夢の王国」シリーズのほうはネットで調べてもはっきりしない。最初はこちらも7巻という告知だったらしいが、その後延々巻が増え、最終的に何巻になったのかわからないのだ。ネットも万能ではない。

 という話を、先週木曜に雑誌「SIGHT」の対談で大森望と会ったので彼にすると、ちょっと待ってくださいね、と手元のノートパソコンをカチャカチャ。これですかね、と私のほうにノートパソコンを見せるのである。私が調べたときには6巻くらいしかその書名がわからなかったのだが、ほかに10巻くらいの書名がそのノートパソコンの画面に並んでいる。どこに出ているんだこれ? それも完全リストではないのだが、だいぶ空白を埋めることが出来た。

 さらに「夢の王国シリーズって、天沢退二郎も書いてましたよね、『光車よ、まわれ!』だったかな。ポプラ文庫ピュアフルで復刊されたやつ」と大森望に言われて突然思い出した。違う、夢の王国ではない。いや天沢退二郎も夢の王国シリーズで書いているのだが、その『光車よ、まわれ!』はちくまだ。ちくまの少年なんとかだ。忘れてたことが大森の言葉に触発されて突然蘇ってきた。

 私がそう言うと、またカチャカチャやっていた大森望が「これですかね」と言ってきた。見ると、辻邦生『ユリアと魔法の都』、小松左京『青い宇宙の冒険』などの書目が並んでいる。ちくま少年文学館だ。そこにちくま少年文学館の完全リストが並んでいたわけではなく、その一部しかそのときはわからなかったのだが、調べる手掛かりは出来た。それだけでもすごく助かる。ネット検索に詳しいやつが近くにいると便利だな。

 1970年代初頭に、晶文社の「文学のおくりもの」、大和書房の「夢の王国」シリーズ、さらにちくま少年文学館が刊行されたのは偶然ではない。なぜこの時期に、これらの叢書が集中して発刊されたのか、そこに1970年代初頭という時代の意味があると私は考えているのである。さらに、この時期のこれらの叢書がその後に与えた影響をいま考えている。戦後のエンターテインメントはこの時期に大きく変貌するが、そのさまざまな要因の一つが、これらの叢書だったのではないか。もっとも大きな要因である中間小説雑誌の興隆(こちらについてはすでに書いた)のほうが目立つのでそちらについ目が行ってしまうけれど、水面下を流れていったこれらの叢書の影響も、実は大きかったのではないか、というのがただいまの仮説である。

 こういうのを思いついて、調べて、書いているときがいちばん楽しい。ところで『ワナビー』が私好みであればいいのだが、そうでない場合もあるわけで、そうなるとこの数日テキスト探しで駆けまわらなければならない。新刊ガイドの締め切り直前のときもそうだけど、こうしてずっと、何かないかと本探しをする人生だなあと思うのである。

8月5日(金)名誉館長に就任

「椎名誠 旅する文学館」が本日よりオープンする。私は初代の「名誉館長」に就任する。「名誉」というからには、実質的な館長は他にいて、私は名ばかりの、つまりはお飾りの館長ということになるが、それでは何なので、私に出来ることはないかと考えた末に、椎名誠に全著作インタビューをすることにした。

 椎名の著作は200点くらいということだが、それそれの著作の裏側にどういう動機、あるいは事情、さらには内幕話があったのか、それを著者本人に聞いていこうという企画である。1回1作、アップは週一。つまり順調に行けば4年間で全著作インタビューは完了することになる。

 たとえば、『椎名誠の増刊号』(小説新潮増刊・平成四年/のちに新潮文庫『自走式漂流記』平成八年)に「椎名誠、自作を語る」というページがあり、その『さらば国分寺書店のオババ』の項で、椎名は「最初に依頼されたのは青年向け読書のすすめ的な本で、これも正月休みに書きました」とそこで語っている。ところが『さらば国分寺書店のオババ』が出版されたのは、1979年11月なのである。正月休みに書いた本を幾度も書き直し、推敲し、刊行が11月になったということも人によっては中にはあるかもしれないが、当時の版元と椎名の事情を考えれば、この場合そういうことはあり得ない。ただの勘違いである。こういう誤りも今回は正していきたい。

 もう一つは、まだインタビューしていないのだが、『わしらは怪しい探険隊』の裏話で聞きたいことがあったりするのである。新潟の粟島にいったとき、上野発の夜行列車の出発時刻は夜の11時とか11時半なのに、夕方の4時に上野駅に集合するのだ。で、ホームで場所取り。延々と待つのである。交代で食事に行ったり、駅前にパチンコしに行ったりと結構自由ではあったけれど(そのために座る席を確保できたから結果的にはいいんだけれど)、しかしなぜ指定席券を買わなかったのか。もう我々は働いていたのでその指定席料金を払えなかったわけではない。わざわざそんな苦労をする必要はない。

 しかも誰一人として、そのことに疑問を持たないのはヘンだ。実は私も最近になって、あれはヘンだよなあと気がついた。三宅島にいくときに、船に乗る前に小岩のスーパーまで食料を買い出しにいき、どうしてこんなことをするのかなあと疑問に思ったことはあるが、上野駅のホームでずっと待っていたことをこないだまで忘れていたのだ。

 ホームのその列はずっと伸びて、我々は階段のところに並んでいたのだが(ということは我々よりも先に並んでいた連中がたくさんいたということだ)、その階段に座って、膝の間に顔を埋めている写真が残されている。というよりも、その写真を見て、我々の前に並んでいる人がいると気がついたのだ。それでは4時に上野駅に集合という判断もけっして間違いではない。もっと遅くいけば、もう座れないだろう。写真に映っているのは私と、当時デパートニューズ社にいた先輩二人の三人のみ。あとの連中は食事に行ったのかどうかはわからない。この三人はこれから夏の旅行に出かけるというのに疲労しきった顔だ。とてもレジャー直前とは思えない。当時はたしかまだ特急ときが走る前で、上野から新潟までは8時間くらいかかったような気がする。しかも夜行列車は超満員。車内はむんむんして暑い。沢野が氷いちごを食べる真似をして、それがすごく涼しげに見えたことを覚えている。こういうふうに聞きたいことがあったりもするのである。

 もっとも私が探険隊に参加していたのは最初の数年だけで、あとは椎名と旅の行動をともにしていないので、80年代後半からは客観的に見た椎名像ということになるだろう。そういう書物については純粋に読者として質問していきたい。

 たとえば、1987年に出版された『パタゴニア』には、その直前にブルータスに書いたエッセイがまるごと収録されているはずだが、そのことを著者は記憶しているか聞いてみたい。これがとても印象深いエッセイで、忘れがたいのである。雑誌掲載時に感心し、これは小説にすべき素材だよなと思ったのだが、書き下ろしの『パタゴニア』を読んでいたら、ここに出てきてびっくりした覚えがある。『パタゴニア』を素晴らしい書にしているのはそのエッセイを挿入してきりりと引き締まったからにほかならない。

 その『パタゴニア』もいま再読したらどんな印象を持つのかわからない。それも楽しみだ。この「椎名誠全著作インタビュー」のために、私は椎名の書いた本を全部再読していく予定なのだが、当時と印象がどう変わるのか、それも楽しみなのである。
『さらば国分寺書店のオババ』も30年ぶりに再読したら全然印象が違っていたから、他の作品も昔とは印象が異なるかもしれない。それを一作ずつ確認していきたい。

 私はこの秋で六十五歳になる。本人がいちばん信じられないが、ということは、この椎名誠インタビューが終われば六十九歳だ。その意味では、これが私の最後の仕事になるだろう。
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