10月31日(月)130年

 打ち合わせまで時間があったので神保町の三省堂書店に寄る。4階の古書部を覗いてから2階の文庫、1階の新刊と見ていくが、都心の書店はやっぱりすごい。地元の書店では見たことのない本が結構ある。こんな本が出てたのかよ、という本が少なくないのだ。そうやって見ていったら、フェアコーナーに出た。明治大学創立130周年記念とあって、タイトルが「明治大学の書き手たち」。

 いやだなあ、こういうの。私の本の大半は絶版なので、こういうフェアのときにたまたま新刊があればいいのだが、そんなものもないから、置いてないよなあそうすると。切れてるよなあ全部。私が明治大学を卒業したことを知らない人なら問題ないのだが、知っている人がたまたまこのフェアコーナーを見て、そうだあいつも明治だっけと思い出し、あれ、あいつの本ないじゃんと発見したりすると、電話がくるんである。なかったよって。そんな電話、寄越すなよ。

 そんな電話かけるやつなんていないだろと思う人は甘い。いるのだ。もうずいぶん前のことになるが、新雑誌が創刊されることになり、私も創刊号からコラムを連載することになった。で、その広告が新聞に載ったのだが、私の名前がなかった。それはいいのだ。私は新雑誌の売りになるような著名人ではないし、かぎられたスペースでもあるし、名前がないことくらいはいい。ところがそういうのを発見して素早く電話してきたやつがいた。
「メグロさんの名前、なかったですね、あははははははは」
 電話の向こうで豪快に笑うのである。当時はJICC出版局、いまは宝島社になっているが、石倉笑という早稲田出身の快女である。元気かあ石倉。

 まあなくてもいいやと三省堂書店のそのコーナーに、さりげなく近寄り、さりげなくぱっぱっと見たら、おお、あった。いちばん隅のほうに『記憶の放物線』(幻冬舎文庫)が一冊置いてあった。担当の方がどこかから見つけてきて、置いてくれたと思われる。ありがたいことである。

 ところでそのフェアのコーナーに置いてある本を見ていったら、妙なことに気がついた。北野武とか倉橋由美子の本が置いてあるのはわかる。明治出身の著名人である。ところが東野圭吾の本があるのだ。えっ、明治なの?
 その東野圭吾の本を手に取って、巻末の著者略歴を見ると、「大阪府立大学卒業」とある。そこを出てからまた明治に入り直したということなのか。なんだかよくわからない。坂崎重盛『神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他』(平凡社)も平積みされていたので、えっ、坂崎さんも明治だったの?と念のために巻末の著者略歴を確認すると、「千葉大学造園学科卒業」とある。明治大学ではないのだ。

 その東野圭吾の本はいちばん右端、坂崎重盛の本はいちばん下にあったので、そこはフェア・コーナーではないという考え方もある。フェアの看板が左右一杯に掲げられているので普通に考えれば、そこに置いてある本は全部フェア用の本のはずなのだが、フェアはその一部だけで、あとはフェア外ということも考えられる。もしくは、その大学をでてから明治の大学院に入ったとか、そういうことなのだろうか。

 明治出身者に怒られてしまいそうだが、私、それほど母校愛は強くない。明治大学で過ごした四年+一年(卒業してからまた戻ったので)は多くの先輩や友に会えたということでとても愛しいが、大学そのものに愛着があるわけではない。現在のリバティタワー建設のとき、卒業生にも寄付の要請があり、振り込もうと思いながら忘れてしまい、はっと気がついたときにはもうリバティタワーが建っていたというくらい役に立たない卒業生である。だから、誰がOBであっても何の関係もない。
 ようするに、ちょっと気になったという話である。