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4月2日(月)ドラえもん

 東京FM放送で毎週土曜の夕方やっている「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー・アヴァンティ」という番組が放送20周年を迎えたというので、そのパーティがあった。業界のパーティにはほとんど出席していないのだが、出演回数のベスト3ですよ来てくださいとシャララ・カンパニーの馬場康夫さんに言われて、断れなくなってしまった。

 10年くらい前から年に1度か2度、シャララ・カンパニーのスタジオに行き、馬場康夫さんを相手に好きな本について喋ってくるだけなのだが、一度行くと5〜6本分は収録するので、出演回数だけをカウントすると出演者のベスト3になってしまうということだろう。そのスタジオは昔は恵比寿にあったが、いまは九品仏。遠くなったように思ったが、町田からでは九品仏のほうが近い。もっとも私は、土曜の夕方は競馬に忙しく、いまにいたるも放送を一度も聞いたことがない。

 パーティ会場にいくと、大森望がいた。彼もこの番組に出ていたとは知らなかった。「こないださ、茶木に会ったんだけど」と話しかけると、「こないだの飲み会でしょ」と言う。どうしてお前のいない飲み会の話をお前は知ってるんだ。油断できないやつである。

 ところでTBSラジオの「森本毅郎スタンバイ」がリニューアルすることになり、本のコーナーが3月一杯でなくなった。それと同時に、私の出番も終了である。9年間の出演だから、長い。これまでラジオへの出演でこれほど長く出た番組はない。出演時間は数分だが、隔週木曜の朝6時半に出発して帰宅が9時半。3時間のおつとめだったが、4月からはもう早起きする必要がないとは、嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちである。

 番組そのものが終了したのが、NHK衛星放送の週刊ブックレビュー。これは21年間続いた番組で、最初の年から出演していたから、これがテレビラジオ関係の私の最長不倒記録だろう。最初の数年間は、委員になってくれと言われて、2ヶ月に三回だったか、3ヶ月に二回だったか、出演を要請された。ようするに出演者を確保するための措置だろう。そのうちゲストが増えてきて、委員も解除されたが、それからも年に数回出演してきた。

 下版の翌日が出演日で、朝方寝たら起きられず、寝坊して遅刻したことや、公開録画のために北九州や米子に行ったこと、いちばん最初に出演したとき感想を求められた三國一朗さんが「読んでいません」と怒ったように言ったことなど、たくさんの思い出がある。

 3月最後の回はその総集編だった。私もちらっと映っていると聞いていたので見た。1995年に北九州で公開録画をしたときの回が映っていた。高樹のぶ子さんと常磐新平さんが一緒の回だ。1995年といえば、17年前である。若い目黒さんが映ってますよ、と親しいプロデューサーが言っていたのだが、いやはや、驚いた。

 若いことに驚いたのではない。太っているのだ。えっ、17年前ってこんなに太ってたの? びっくりした。いまのほうが太っていると思っていたのだが、今よりも太っているから驚く。一緒に見ていた次男に、「今よりもこのときのほうが太っているよなあ」と言ったら、彼も頷いていたから、それが客観的な事実だろう。

 その次男がぽつりと「ドラえもんみたい」と言った途端、そのころのことを思い出した。笹塚で私はそのころ「四階のドラえもん」と言われていたのだ。これまで私はてっきり冗談半分の愛称だと思っていたのだが、違うのである。ホントに、ドラえもんのように丸々としていたのだ! その事実にいまようやく気がついた。そうか、そうだったのか。

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