8月2日(木) 思い出したことと忘れていたこと
- 『新刊めったくたガイド大全』
- 北上 次郎
- 本の雑誌社
- 2,854円(税込)
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- 『リンネとその使徒たち―探検博物学の夜明け (朝日選書)』
- 西村 三郎
- 朝日新聞社
- 1,680円(税込)
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- 『紅茶スパイ: 英国人プラントハンター中国をゆく』
- サラ ローズ
- 原書房
- 2,520円(税込)
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- 『エンターテインメント作家ファイル108 国内編』
- 北上 次郎
- 本の雑誌社
- 2,310円(税込)
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- 『海炭市叙景 (小学館文庫)』
- 佐藤 泰志
- 小学館
- 650円(税込)
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必要があって、北上次郎『新刊めったくたガイド大全』(本の雑誌社1995年刊/角川文庫2001年刊)を読み返していたら、次の記述にぶつかった。その箇所を引く。
今月の最後は、西村三郎『リンネとその使途たち』(人文書院)。博物学者リンネの弟子から、アメリカ、アラビア、ニッポンにそれぞれ足をのばして探索した三人の生涯を描く評伝である。未知の植物や生物を求め、気の遠くなるような困難をほとんど宗教的と思えるほどの情熱で克服し海を渡っていった十八世紀の、探検博物学者たちの想像を絶する旅があざやかに描かれている。
そうか、この本だ。どうして必要なときには見つからず、用が終わったあとに出てくるのか。実は私、本年3月号の新刊ガイドで、「英国人プラントハンター中国をゆく」と副題のついたサラ・ローズの『紅茶スパイ』(築地誠子訳/原書房)という本を紹介している。
このプラントハンターとは「十八世紀から十九世紀にかけて、アフリカ、アジア、アメリカなどの危険な奥地や前人未到の土地を探検して、美しい鑑賞用植物や生活に役立つ有用植物を集めてヨーロッパに持ち帰った植物採集家・植物探検家のこと」なのだが、『紅茶スパイ』はその英国人プラントハンター、フォーチュンの中国の旅を描いたノンフィクションだ。
このプラントハンターたちが世界をまわる前に、もっと情熱的に世界中をまわった男たちがいた例として、このリンネの弟子たちの話を書いた本を遡って紹介したかったのだが、そのときはとうとう書名がわからなかったのだ。それがずっと気になっていた。
それが、西村三郎『リンネとその使途たち』という本だったことがわかったのだから、本来ならすっきりするはずなのだが、実はすっきりしない。というのは、私が『リンネとその使途たち』を紹介したのは、本の雑誌の1989年8月号である。もうワープロを使って原稿を書いていた時代である。そのころのワープロ・フロッピーはパソコンを導入した際にすべてテキスト変換して、パソコンのハードディスクに入れたので、だから、パソコンで「リンネ」と検索したときにヒットしなければいけない。正確な書名はわからなかったが、リンネの弟子たちの話だということぐらい、私だって覚えていた。それなのにヒットしなかったのである。
「この二十年間に書いた原稿はすべてパソコンに入っている」とまえがきで書いたのは、『エンターテインメント作家ファイル108』で、この刊行は2006年。ということはその20年前、つまり1986年以降に書いた原稿はすべてパソコンに入っていることになる。ね、1989年8月号なら間違いなくパソコンのハードディスクに入っていなければいけない。ヘンだよなあ。
それにしても遙か昔に書いた書評を読み返すのは面白い。忘れていた本が次々に飛び出てくるのだ。そのたびに、えっ、オレ、読んでいたのかよとびっくりする。たとえば、1992年3月号の新刊ガイドではこんな本も紹介している。
佐藤泰志の『海炭市叙景』(集英社)は、北の町に住むさまざまな人のドラマを積み上げていく未完の連作長編。以前、この作者の『大きなハードルと小さなハードル』を読んだとき、その底にひそむ荒々しい暴力に驚いたことがあるが、この作品に登場する人間も例外なく言いようのない怒りをもてあましている。哀しみではない。哀しみにしては荒々しすぎる。なぜこのつまらない生をいきなければならないのか、という怒りだ。その鮮烈なひびきがしんとしたものを伝えてくる。
いや、びっくりした。おれは佐藤泰志を読んでいたのか。しかも『大きなハードルと小さなハードル』という以前の作品まで読んでいるとは。佐藤泰志の本をまとめて5〜6冊買ったのはついこないだのことではないか。未読の作家だけど、面白そうじゃんとまとめて購入したのである。そのうちの2冊を読んでいたとは。
実は忘れていた本はこれだけではない。これ、読んでいたのかよ、と驚く本が次々に出てくる。その書名をいちいちあげていたらきりがないのでやめておくが、なんだかなあ。
今月の最後は、西村三郎『リンネとその使途たち』(人文書院)。博物学者リンネの弟子から、アメリカ、アラビア、ニッポンにそれぞれ足をのばして探索した三人の生涯を描く評伝である。未知の植物や生物を求め、気の遠くなるような困難をほとんど宗教的と思えるほどの情熱で克服し海を渡っていった十八世紀の、探検博物学者たちの想像を絶する旅があざやかに描かれている。
そうか、この本だ。どうして必要なときには見つからず、用が終わったあとに出てくるのか。実は私、本年3月号の新刊ガイドで、「英国人プラントハンター中国をゆく」と副題のついたサラ・ローズの『紅茶スパイ』(築地誠子訳/原書房)という本を紹介している。
このプラントハンターとは「十八世紀から十九世紀にかけて、アフリカ、アジア、アメリカなどの危険な奥地や前人未到の土地を探検して、美しい鑑賞用植物や生活に役立つ有用植物を集めてヨーロッパに持ち帰った植物採集家・植物探検家のこと」なのだが、『紅茶スパイ』はその英国人プラントハンター、フォーチュンの中国の旅を描いたノンフィクションだ。
このプラントハンターたちが世界をまわる前に、もっと情熱的に世界中をまわった男たちがいた例として、このリンネの弟子たちの話を書いた本を遡って紹介したかったのだが、そのときはとうとう書名がわからなかったのだ。それがずっと気になっていた。
それが、西村三郎『リンネとその使途たち』という本だったことがわかったのだから、本来ならすっきりするはずなのだが、実はすっきりしない。というのは、私が『リンネとその使途たち』を紹介したのは、本の雑誌の1989年8月号である。もうワープロを使って原稿を書いていた時代である。そのころのワープロ・フロッピーはパソコンを導入した際にすべてテキスト変換して、パソコンのハードディスクに入れたので、だから、パソコンで「リンネ」と検索したときにヒットしなければいけない。正確な書名はわからなかったが、リンネの弟子たちの話だということぐらい、私だって覚えていた。それなのにヒットしなかったのである。
「この二十年間に書いた原稿はすべてパソコンに入っている」とまえがきで書いたのは、『エンターテインメント作家ファイル108』で、この刊行は2006年。ということはその20年前、つまり1986年以降に書いた原稿はすべてパソコンに入っていることになる。ね、1989年8月号なら間違いなくパソコンのハードディスクに入っていなければいけない。ヘンだよなあ。
それにしても遙か昔に書いた書評を読み返すのは面白い。忘れていた本が次々に飛び出てくるのだ。そのたびに、えっ、オレ、読んでいたのかよとびっくりする。たとえば、1992年3月号の新刊ガイドではこんな本も紹介している。
佐藤泰志の『海炭市叙景』(集英社)は、北の町に住むさまざまな人のドラマを積み上げていく未完の連作長編。以前、この作者の『大きなハードルと小さなハードル』を読んだとき、その底にひそむ荒々しい暴力に驚いたことがあるが、この作品に登場する人間も例外なく言いようのない怒りをもてあましている。哀しみではない。哀しみにしては荒々しすぎる。なぜこのつまらない生をいきなければならないのか、という怒りだ。その鮮烈なひびきがしんとしたものを伝えてくる。
いや、びっくりした。おれは佐藤泰志を読んでいたのか。しかも『大きなハードルと小さなハードル』という以前の作品まで読んでいるとは。佐藤泰志の本をまとめて5〜6冊買ったのはついこないだのことではないか。未読の作家だけど、面白そうじゃんとまとめて購入したのである。そのうちの2冊を読んでいたとは。
実は忘れていた本はこれだけではない。これ、読んでいたのかよ、と驚く本が次々に出てくる。その書名をいちいちあげていたらきりがないのでやめておくが、なんだかなあ。