梶よう子『桃のひこばえ』(集英社)には、御楽園同心水上草介、という副題が付いている。小石川御薬園(現在の小石川植物園)を舞台にした連作集だが、ここは徳川幕府が薬草栽培と御城で賄う生薬の精製をする施設で、水上草介はそこにつとめる同心だ。もっとも草介、草花を触っていことが出来ればそれだけで幸せという男で、吹けば飛ぶような体躯なので、水上ではなく水草は言われている。なかなかいいキャラクターだ。
今回の『桃のひこばえ』は、『柿のへた』に続くシリーズ第二作だが、その冒頭の一編に「アカザ」が登場する。それがどういう役割をするのかは本書を繙かれたい。ここでは次の一文を引くにとどめておく。
「アカザは若葉が紅色をしているところからその名がある。生育するにつれて緑色に変わっていく。葉はゆがいて,お浸しや吸い物にして食することででき、煎じて飲用すれば胃を丈夫にし、壮健になるとされている。さらに葉の汁は虫刺されに効果があった」
アカザの吸い物は粗末な食物のたとえだと続けて出てくるが、私は植物に詳しくないので、このアカザというものを知らなかった。漢字で書くと「藜」と書くのだが、これが読めなかった。父の残したメモに、この漢字があったのである。そのメモを引く。
「終戦間もないころ、北鮮から復員すると同時に、池袋付近(今の板橋区南町)にあったパピリオの子会社に勤めることになった。どこもかしこも焼け跡の瓦礫であった。ある日、ガン研の近くを通ると、そんな瓦礫の埃にまみれて藜が生い茂っていた。さっそくその葉を摘み取って持ち帰り、夕食の菜に茹でたところその思わぬうまさに驚いた。味がまったくほうれん草にそっくりだったのである。その話をたまたま会社へ訪ねてきた福家君に話したところ、何を思ったのか、二、三日して新鮮な長ねぎその他の野菜を二束さげて見舞ってくれた。草野社長と私に一束ずつ。福家君はそのころ千葉のほうに住んでいた」
私の父は1991年に亡くなったが、生前書き残したメモがある。幼いころから亡くなるまで、彼の記憶に残っていることを断片的に書いたメモだ。私が頼んで書いてもらった。上記のメモはそのうちの一つだ。父の評伝を書きたかったのである。最初にそう思ったのは1985年だから、もう30年前のことになる。そのときの参考するために、メモを書いてもらった。ところが何もしないまま歳月が過ぎ、父が亡くなってからでも二十数年がたってしまった。もう一生評伝を書く機会はないだろうと思っていたが、ひょんなことから「野性時代」で書くことになり、今年の2月号から10月まで全9回にわたって連載した。ただいま大幅に加筆しているところで単行本の上梓は来春である。
私が道端でいまアカザを見ても、わからないだろう。それがわかるようになりたい。そう考えている。