第16回

 撮影と並行して、読み物ページの原稿集めもしなければならない。

 「世間流行mono通信」は、何人ものライターから原稿とポジ(もしくは紙焼き)を集めなければならないのだが、早めに設定した締め切りを守ってくれる人が多く、編集部にも映画会社やビデオ会社(AVではない)、イベント会社等々から、情報が送られてくるので、ネタに詰まるようなことはほとんどなかった。

 ただ、7月号にはどうしても入れておきたい情報があった。それは、シーズ刊の『お別れ写真集 さよなら...有希子』だ。「世間流行mono通信」"今月のアイドルキャッチ"という囲み(これは、写真集を編集部で購入して紹介)で、毎号3冊のアイドル写真集を紹介していたので、例の事件の直後に出る7月号(直後に出たのは6月号だが、4Cページは既に入稿済みだったので、実質的に)でどうしても紹介したかった。しかし、発売日に会社付近の書店では、発見できず、仕事の隙を見て、神保町を駆けずり回るも見当たらない。それまで、アイドル写真集など買ったことがなかったので、探すツボがずれていたのもあったと思う。2度目の神保町遠征で、タレント写真集に力を入れている古本屋兼ゾッキ本屋の店先でやっと見つけることができた。

 その神保町捜査行のついでではないが、すずらん通りにある弓立社のビルの一室を事務所にしていた森伸之さんにその月に集まった投稿レポートを渡しがてら挨拶に行った。『東京女子高制服図鑑』の著者なので、ありがちなオタクっぽい人物をイメージしていたのだが、意外や身長180センチの俺よりもはるかに高い身長の偉丈夫で予想は全く外れてしまった。型通りのはじめましてを終えると森さんに聞かれた。

「大橋くんは、サン出版の前はどこにいましたか?」
(新卒で入社したって、言ったはずだけど...)
「えっ、大学に通ってましたけど」
「その時にどこかの出版社にいませんでしたか?」
 森さんがオレから一体、何を聞き出したいのか分からず、
(やけに詮索してくるな。オレに気でもあるのかしら(ぞっ))
 と思いながら、答えた。
「「本の雑誌」で助っ人してましたけど...」
 
 すると森さんはニコッと笑って、こう言った。
「美学校で上原くんと一緒だったんですよ。今度、後輩がサン出版入るって、聞いてたから、ひょっとしたらと思って」
 上原善二さんは、歳が一つ上の助っ人の先輩だ。確かに美学校で赤瀬川源平の教室に通っていた。それを聞いて、ずいぶん前に上原さんが、
「美学校の友達の出した女子高生の制服図鑑が結構売れている」
 なんてことを言ってたのを思い出した。
(あれって、『東京女子高制服図鑑』のことだったんだ)
 
 その売れ行きにメディアが注目して取り上げたのが、上原さんの話を聞いてからだいぶ後だったので、忘れていたのだ。偶然というか、業界は狭いというか。この一件で初対面だというのに随分と打ち解けることができ、後々には、プラーベートでも、飲みに行ったりするようになり、現在も親交が続いている。
 
 ただ、名の売れた著者の担当が新人に回って来たのには、裏があった。編集部に戻り、森さんに会ってきたことを編集長に報告すると、
「知り合いの知り合いだったんだ。なら、よかったじゃないか。ただ、森さんは原稿が遅いからな。俺が出張っても酒飲んでて、原稿書かないんだから」
 原稿を待たされた時の気分がよみがえったのが、ムッとした口ぶりで言われた。
 
 確かに、当時の森さんは原稿が遅かった。それでも、共通の知り合いがいるよしみでか、オレが担当になってからは、少なくとも落とすようなことはなかった(かなりあぶない橋はいくつも渡ったが)。そして、あることを境に、きっちり締め切りを守るようになってくれるのだが、それは3年以上後の話だ。