第59回

4月号に引き続き、5月号のキャスティングも順調だった。
「FIインタビュー」は、当時人気の暴走族マンガ『湘南爆走族』の実写映画のヒロインオーディションで栄冠を勝ち取った清水美砂('70年9月25日生まれ 東京出身)に決まった(「制服ヌーベルバーグ」も)。取材の時の印象は、(うわぁ、でか!!)。数々の映画賞を受賞した大女優に対して失礼な話だが、この頃のアイドル達の身長は、155~159㎝くらいで、160を超えることは滅多になかった。これは、「なるほど!ザ・ワールド」の愛川欽也と楠田枝里子の例を出すまでもなく、TV番組の司会者などを務める大物タレントの身長がそんなに高くないので、画面上で肩を並べた時に大きく見えてしまわないためだ。モデルならともかく、可愛くなければならないアイドルが、司会者よりも大きく見えてしまっては可愛く見えない。清水美砂の身長は164㎝とアイドルとしては、破格の高さだったのだ。

 5月号の特集は、3月号で告知・募集した「おニャン子クラブ」に決まっていた。編集会議では、特集を二つに分け、第一部「おニャン子たちの肖像」は、募集で集まった写真を中心に組み、第二部「午後5時のシンデレラ」は、おニャン子クラブのメンバーの写真付き名簿の完全版と番組開始からの年表を作ることになった。第二部の企画を出したのはオレだった。企画として、あまりに安易と思われるかもしれないが、フジテレビ出版から出されたおニャン子クラブの写真集には、名簿も年表も(公式なものとして)載ってはいるのだが、発足直後に文春がおニャン子メンバーの喫煙写真をスクープし、その影響で数名が解雇されたり(通称"文春タバコ事件")、正式な卒業を経ずして消えてしまったメンバーも数名いて、もちろん公式な名簿には載っていない。こうした裏(というには誰でも知っているものも多かったが)の部分を含めての完璧なものを作れれば、マニアならずとも欲しがるに違いないと踏んだのだ。 

 企画を立てたのはいいが、問題はそれを完璧に書くことのできるライターだった。「投稿写真」のライター達の中には、おニャン子を最初から隈なくチェックしている人間は一人もいなかった。ましてや、写真の入手困難な文春タバコ事件解雇メンバーの写っているビデオも持っている人間もいない。「夕やけニャンニャン」の放送開始は、'85年4月1日、文春タバコ事件は4月25日、開始一週目の平均視聴率3.8%だったことを考えると、いくら先物買いが命のアイドルマニアでも番組をビデオに録っているかどうか微妙だ。しかし、それを持っている人間を見つけないことには、企画は暗礁に乗り上げてしまう。
(出入りのライターで足りるだろう)
 楽観視していたオレは、こんな状況になるのは計算外だった。
(こうなったら名簿は写真抜きでやるっきゃないか)
 とも考えたが、肝心の開始直後のビデオが手に入らないことには、顔写真どころか文春タバコ事件解雇メンバーのプロフィールも分からない。困り果てているオレにライターのMさんがこんな情報を教えてくれた。
「お茶ノ水のヴィクトリアレコードにおニャン子に滅茶苦茶詳しい店員がいるらしいよ」
 それでなくてもワラをもつかむ思いでいたところ、すぐさまオレは104でヴィクトリアレコードの番号を調べ、電話を掛けた。
「すいません。お名前は判らないんですけど、そちらにおニャン子にすごく詳しい店員さんがいらっしゃると聞いたんですけど...」
 どう考えても怪しい電話だったにもかかわらず、電話に出た店員はすかさず、
「Gさんですね。今、代わりますので」
 あっさり取り次いでくれた。挨拶もそこそこに企画の件をGさんに切り出す。
「年表は問題ないでしょう。ビデオもボクは持ってませんけど、仲間に持ってるのがいるので多分大丈夫です」
 このまま、沈没かと思われた暗礁は、この一言で平穏な海原へと変わった。
 Gさんの協力でヴィクトリアレコードからの資料提供も受けることができ、特集は他誌がマネできないくらい充実したものとなった。