第66回

'87年8月号/表紙・水谷麻里/アイシミュ・山岸典子/IDOL SCRAMBLE・長野知夏・城山美佳子・萩原真紀子
 
 8月号では、よく覚えていることが2つある。
 一つは、4Cページの校了日の夕方、たまに編集部に遊びに来るペンネーム・山岡史郎が久しぶりに顔を出した。
「これ見て下さい。すごいの撮れちゃいましたよ。今日、町田で仁藤優子のイベントがあったんですけど、すっごく風が強くかったんすよ。それで、スカートがめくれまくり!! パンチラどこらか、パンモロですよ。事務所の人がフィルムを取り上げたりしてたんで、うまくかいくぐって、すぐ現像に出したんです」
 山岡は興奮しまくり状態だった。
「で、ひょっとしたらまだ8月号に間に合うかなと思って、飛んできたんです」
 早速、写真を見てみると山岡の言う通りの写真がぞろぞろ。パンチラ対策のアンダースコートが完全に露出していて、ウエストラインの肌まで写っているものさえある。山岡が興奮状態なのもよくわかる。
「でも、もう入稿は済んじゃってるし、さっき校了しちゃったよ」
 とはいったものの、来月号に回してしまったら、おそらく何人もこうして写真を取っているだろうから、競合誌にも掲載されてしまうのは間違いない。折角の山岡の頑張りを活かす手はないものか? その時、投稿ページの「アイドルsnap決定戦 PART.1」が載っている3折はついさっき校了して印刷所行きの棚に出したばかりだということに気がついた。
「おい、大門、さっき出した校了紙、棚から引き上げてきてくれ!」
 バイトの大門が校了紙を取りに出た後、控えの校了紙をチェックする。毎回最後のページは、1ページ大の大伸ばしで掲載されている。幸いこのページならレイアウトを変えずにネーム部分だけを差し替えれば何とかなりそうだ。
「堀川さん、ここなら差し替えられますよ」
「う~ん、そうだけど」
 オレが思っているほど、編集長は差し替えに積極的ではなさそうだ。
「写植は特急でバラ打ちしてもらって、取りに行けば今日中に作り直せますし、印刷所には僕のほうから連絡しときますから!!」
 有無を言わせず、一方的に差し替えの手配を始めるオレ(誰が編集長なんだか(笑))。ついには、山岡の興奮が乗り移ったかのようなオレの勢いに押されて、編集長は差し替えに同意してくれた。
 結果、この仁藤優子のパンチラを8月号で載せた雑誌は、発売日の近い類似誌では「投稿写真」だけだった。発売日が4、5日遅いものだと間に合ってしまうかもとの危惧もあったのだが、撮ってすぐの持ち込みと校了ギリギリでの差し替えが、撮り終えて現像・プリント、それから郵送で投稿するまでのタイムラグに勝ったということだろう。しかし、未だになぜ、編集長が差し替えにためらっていたのか、わからないままだ。

 もう一つは、入稿が佳境に入ろうとしていた5月末、終電過ぎまで仕事づくめだったオレは、深夜2時頃、タクシーの車内で缶ビールを飲んでいた(貧乏編集者のささやかな楽しみだ)。国道4号の千住大橋を過ぎ、そろそろ竹の塚といった辺りの信号に捕まった。タクシーが止まって、反対側の歩行者用信号が点滅を始めた時、ドンという衝撃で上半身がつんのめった。手にしていた缶からビールが飛び出し、運転席の後ろに降り注ぐ。
(いったい何が起きたんだ!?)
 一瞬のことで、何が何だかわからない。
「やられちゃったよ」
 運転手の声で、どうやら事故と知り、振り向くと4トントラックが止まっていた。
「お客さん、長くなりそうだから他のタクシー捕まえて、帰ってくれない?」
 とりあえずケガはなさそうだし、ただでさえ短い睡眠時間をこれ以上削られるのは嫌なので、オレは万が一にとタクシーカードをポケットに入れ、タイミングよく走ってきた空車のタクシーを捕まえて帰宅した。
 翌朝起きるとクビの後ろに違和感。どうやらムチウチになってしまったようだ。しかし、その日は、長野千夏('73年7月29日生まれ、京都府出身)の撮影・取材が入っていた。日曜日なので病院は休みだし、編集部には誰もいないため交代も頼めない。しかたなく、症状が重くならないように祈りながら、現場に向かわなくてはならなかった。
 病院に行けたのは、その翌日の月曜日。そこから取材・撮影・入稿がひしめいていたため、通院できず(もちろん、仕事を休むことは論外)、ときたま襲ってくる頭痛にも苦しんだというのにすずめの涙のような補償金しかもらえなかった(泣)。