第71回
"二兎を追う者一兎を得ず"とはいうものの、ビッグEは逃したものの、もう一兎(水谷麻里)は何とかつなぎ止めたい。ビッグEのコーナーを作ることは、もちろん一番大きな目的だったが、水谷麻里のアイドルらしからぬ特異なキャラクターをなんとか誌面でアピールすることができないものかと常々考えていたのだ。
(ビッグEのコーナーがポシャった以上、水谷麻里で何か企画をできないものか)
そう気持ちを切り替えたオレは、この号で9回目になる志賀真理子の相談室を水谷麻里に代えることを編集長に提案し、OKをもらった。相談室は長くやっているとどうしても似たような相談・回答になってしまいがちで、半年くらいでパーソナリティーを代えないとマンネリ化してしまう。志賀真理子の相談室もそういう意味では潮時だった。
相談室の取材の時、志賀真理子の事務所の社長に恐る恐るこの件を切り出すと最初は渋られたものの、これからは半年で切り替えていく方針などを説明するとどうにか納得してくれた。
「当然、交代の対談とかやってくれるんだよな」
そんなことは考えてもいなかったのだが、穏便に交代してもらうには断れない雰囲気。
「もちろんやります」
レギュラーコーナーがなくなることで不機嫌になっている社長の迫力にビビっていたオレは、取材後すぐに引き継ぎ対談のセッティングをするため、水谷麻里のマネージャーに連絡を取ることとなった。
引き継ぎ対談は、会社の喫茶室を借り切って行った。約束の時間通りに志賀真理子と社長が到着、しかし、対談相手の水谷麻里とマネージャーが15分位過ぎても現れない。事務所に連絡を取ると前の仕事が押していて30分くらい遅れるとのこと。
「どうなってんだよ!!」
約束の時間から20分ほど過ぎた頃、社長がキレた。芸能界でのしきたりでは、格が上のほうが後から来ることになっていて、社長は自分が舐められてると思ったのだろう。本来なら、相手方に食ってかかるのだろうが(それはそれで困るが)、まだ来ていなかったため怒りの矛先はオレに向かうことになった。
「連絡はとったんですが、30分ほど遅れるとかで...」
しどろもどろに答えるオレ。
「ふざけんな!! もう帰るぞ!!」
カバンを手に喫茶室を出ていこうとする社長。
「ま、待って下さい。すいません。もう来ると思いますから」
(何でオレが怒られた上に、謝ってなだめなきゃならないんだ!? だいたい、引き継ぎ対談をしたいといってきたのもそっちじゃないか)
理不尽な思いにとらわれながらも、必死に社長を引きとめた。
なんとか社長を席に座らせ、ホッとしたところに、水谷麻里の一行が到着した。
ここでひと悶着起きたらどうしようと心配だったが、相手が到着するや否や、社長は穏やかな物腰のニコやかな態度に急変、対談も平穏無事に終わった。
(二度とアイドルの対談企画はゴメンだ)
オレは、心の中で毒づいた。
12月号の表紙・グラビアの北岡夢子('71年2月2日生まれ、東京都出身)は、次の年('88)の事務所イチオシでデビューすると紹介され、いきなり表紙で初登場した。下町出身のせいか人見知りしないチャキチャキした性格のコで、アイドルよりも飲み屋のママさんをやっていたら似合いそうなタイプだった。撮影中もおしゃべりが止まらない。
「大橋さん。海外ロケとかにも行くんですか?」
「去年一回と今年の春にグアムに行ったけど」
「いいなぁ。わたし、南の島に行ってみたいんですよ」
「でも、海外ロケの場合は水着ができないと」
この撮影は、水着がNGで表紙用の制服と体操着+ブルマがメインの衣装だった(水着がダメな場合の定番ともいえる)。
「そっかあ。でも南の島に行けるんだったら、水着もやっちゃおうかな。ね、Sさん」
いきなり、話を向けられたマネージャーのSさんは困った顔をしている。
「事務所の方針だってあるんだから、勝手に決めちゃダメだよ」
オレは、夢子をたしなめつつも、
(ひょっとして、海外ロケで切り出せば、来年一押しのコの初水着が撮れるかも)
とほくそ笑んでいた。
そして、一月半後の11月上旬、それは現実のものとなった。
前の年と同じく、この号の特集は、'87新人アイドルグランプリのノミネートをしている。その栄え(?)ある30組に選ばれたのは、八木さおり、芹沢直美、内海和子、中村由真、酒井法子、BaBe、久松由実、統乃さゆみ、後藤久美子、畠田理恵、ゆうゆ、立花理佐、うしろ髪ひかれ隊、伊藤美紀、森高千里、石田ひかり、守谷香、渡瀬麻紀、土田由美、真弓倫子、仁藤優子、伊藤智恵理、小沢なつき、秋山絵美、アイドル夢工場、五十嵐いづみ、工藤静香、パンツの穴シスターズTu-Tu、長野知夏、白田あゆみ。'87年と比べるとおニャン子色が薄まり、その分大手・中小の事務所から様々なコンセプトでアイドルがデビューしていたのが分かる。美少女ブームの先駆けとなったオスカープロモーションの後藤久美子などは、その象徴ともいえる。森高千里のデビューは、カワイければ歌なんか下手でもOKといわれていたアイドルのコンセプトを覆し、自らの歌を作詞するというアーティストという付加価値を創出し、その後のアイドルのコンセプトを大きく変えた。おニャン子クラブの解散が、いろいろな意味での転換を巻き起こした年だったといってよいだろう。