第82回
12月号の作業に入ろうかという9月下旬頃、ちょい大きめのイベントや音楽祭が突如中止になるという連絡が相次ぐ。書かずもがなのことだが、昭和天皇が危篤状態になられ、日本国中が娯楽イベント自粛に動いたのだ。
「もしもの時は、コンビニや書店から娯楽誌はすべて下げられる」
業界では、こんな噂さえ流れていた。
だからといって、締め切りは待っちゃくれない。12月号は、「夏休み新人アイドルフォトコンテスト」の総合各賞発表の号で、その選考(当然ながらそれぞれのアイドルも加わって、コメントしてもらう)のため、9月号と同じくらいハチャメチャに忙しかったのだ。
なんとかかんとか、9月21日から28日の間にレモンエンジェル、藤谷美紀、姫乃樹リカ、北岡夢子、パンプキンの5組の取材をまとめられたので、効率は良かったのだが、日によっては30分間隔が空いただけのダブルヘッダーなんてこともあり、準備と撮影と取材と選考と後片付けに追われることになった。
忙しい中、救いだったのは、どのアイドルも選考を楽しみにしてくれていたことと実際のイベント会場でのカメラBOY達のマナーがちゃんとしていたと教えてくれたことだ。告知の時の文章や編集部メッセージ(これはオレが書いているわけではないが)で、再三、読者に向けて「撮ることばかりに集中しないで、拍手や声援も忘れず、イベントを盛り上げてほしい」と書いたメッセージが、ちゃんと伝わっていたようだ。オレは、それをアイドル達の口から聞くたびに、読者への感謝の念を改める思いだった。
12月号の校了明けの10月18日、関係者を集めてフォトコンの打ち上げを新宿の浪漫房で行った。編集部以外の人を招いての打ち上げは、創刊以来初めてだったと思う。
1月号は、アイドル担当ページの相談室が、守谷香からパンプキンへ、イベント会場マニュアルが、パンプキンから姫乃樹リカへ変わった。もちろん、一回で懲りているので引き継ぎ対談とかはなし(笑)、12月号で告知しただけだ。この2つのコーナーも半年毎に担当アイドルが代わるというのが決まりになってきた。
1月号の特集は、本来12月号のお決まり特集である「'88新人アイドル名鑑 BEST30」だ。12月号にフォトコンの結果発表が特集として割り込んできたため、一号先送りとなったのだ。例年同様に、'88新人アイドルグランプリのノミネートも兼ねている。
選ばれたのは、生稲晃子、相川恵里、島崎路子、岡本南、安永亜衣、Wink、姫乃樹リカ、北岡夢子、高岡早紀、吉田真里子、本田理沙、小川範子、藤谷美紀、パンプキン、国実百合、我妻佳代、山崎真由美、小高恵美、宮崎純、円谷優子、浦川智子、斉藤満喜子、大井裕子、喜多嶋舞、坂上香織、レモンエンジェル、浅田華子、西田ひかる、かわいさとみ、田中律子の30組。おニャン子の残党が3人ほど入っているが、解散後に歌手デビューできたのはむしろ幸運ともいえるだろう。'88年のデビュー組は、アイドル氷河期の中、どういうタイプが受けるのか、事務所側も試行錯誤といった感じで、こんな傾向だったとまとめることができないことが特色だったというしかない状態だ。先述のおニャン子残党、美少女系、ツッパリ系、本格派と百花繚乱、親の七光組の円谷優子と喜多嶋舞は、今では珍しくもない2世タレントだが、こうしたアイドルの出現はこの年が最初だったと思う。AV出身のかわいさとみは、AVブームの定着とAV界の美少女ブームが生み出した時代の徒花だった。
その中でも、Winkのブレイクは意外だった。雑誌「Up To Boy」のミスコンから誕生したユニットで、コンセプトは、'86年に吉本興業が送り出したポピンズによく似ていた。ポピンズが失敗に終わっていたので、Winkも同じ道を歩むに違いないとオレは、さほど重要視はしていなかった。案の定、1枚目と2枚目のシングルはパッとせず、このままフェイドアウトかと思われた。ところが、'88年11月に出た3枚目のシングル「愛が止まらない~Turn It Into Love~」がブレイク、'89年のオリコン年間順位5位に登りつめ、第22回日本有線大賞グランプリ(上半期)を受賞、5枚目のシングル「淋しい熱帯魚」は、第22回日本有線大賞グランプリ(年間)を受賞し、そのまま勢いは止まらず、同じ曲で第31回日本レコード大賞、そして紅白にまで出場してしまった。オレの予想は大ハズレだったが、一雑誌のミスコンからここまで行くとは誰も予想だにしていなかったと思う。ただ、その後は、予想通りフェイドアウトしてしまったので、必ずしもハズレたとは言い難い部分もある。Winkのブレイクは、かわいさとみのアイドルデビューとは違った意味でのアイドル氷河期における徒花だったのかもしれない。