第85回
3月号の編集作業中、時代は昭和から平成に変わった。噂されていたような書店やコンビニで娯楽誌が店頭から下げられるといった事態にはならず、予定通りに発売された。
4月号が校了し、5月号の準備を始めようかという時、異動の発表があった。
が、またしてもオレの名前はどこにもなかった。
(一体、どうなってるんだ!? 4年目に突入だぞ)
オレより、一つ下、二つ下の後輩達は、全員一度は異動を経験していて、歳の近い先輩たちも同様だった。なにゆえオレだけが...と思っても、まさか社長(現会長)に訊いてみるワケにもいかない。
(決まったことは、しょうがない。慣れてる雑誌の方がラクなことは、ラクだし)
置いてきぼりにされているような気分は晴れなかったが、この際、前向きに考えるしかなかった。実際、異動に備えて、芸能ページの担当を特集なども含め、引き継いでいたので、オレの担当は、ずいぶん少なくなっていたのだ。
4月号でいうと、表紙・巻頭グラビアの撮影(サイパンロケ)、直木亜弓(ヌード)の撮影、「SCHOOL SISTERS」の特集、「中森明夫のアイドル・シミュレーション」「似な顔絵塾」、特集「アイドル・夢子ができるまで」、「日本全国イベント会場マニュアル」、「TVトリップ」、けらえいこのマンガ、「パンプキンにまかせなさいっ!」(相談室)、目次、「世間流行mono通信」、「アイドルイベント駆け込み報告」、姫乃樹リカの撮影、プレゼントページといった具合だ。この号は、特集を二本とも担当しているが、これは企画を通した者が担当するので、毎月ではない。また4月号ではなかったが、アイドルのインタビューもたまに担当していた。入社したての頃は、担当ページがもっと多かったのに加え、グラビアや投稿ページのネームやほぼ全ページの校正とその版下直しがあって、入稿間際は徹夜の連続だったのに比べれば、人間らしい生活ができる程度までラクになっていた(その分、三橋や奥山は大変だったと思う)。
5月号から、目次のマンガが、けらえいこからただのかずみに変わった。けらえいこから「毎回、アイディアを考えるのが大変だから、ビデオの紹介マンガは続けるけど、目次は降りたい」と申し出があったのだ。元々は、オリジナルマンガだったのをビデオ紹介マンガに変えたのも同じ理由だった。単行本にまとまることはまずあり得ない仕事を頼んでいる後ろめたさもあって、渋々だったが、今回もその申し出を断れなかった。
すぐに、「TVトリップ」のイラストを描いてもらっているただのかずみに電話すると快く引き受けてくれた。彼女に決めたのは、「投稿写真」のキャラクターの"写っ太くん"の生みの親であったことと、これはたまたまなのだが、彼女のアパートは、当時オレが住んでいた埼玉の実家から自転車に乗って行けるところにあったので、原稿取りがラクという理由だった(「投稿写真」はマンガ雑誌ではなかったので、漫画家の起用にはそんなに深く考えていなかったのだ)。