第87回
6月号の編集作業が終わろうかという頃、編集長から企画書をワープロで打つよう頼まれた。その頃、社内には緑色の文字が発光するタイプのワープロ一台しかなかった。長く打っていると、雪目のように物の残像がピンクに見えるようになってしまうので、オレは色校前に打たないように心掛けていたようなシロモノだった。その唯一のワープロは、編集フロアではなく、経理部や総務部のある4階フロアの片隅に置かれていた。
入社間もない頃、ワープロを打ちに4階に行って打っていると、
「あいつ、打てんのか?」
「おおっ!! 両手で打ってるよ」
ホメてるのか、バカにしてるのか分からない声が聞こえてきた。やっとワープロが一般に普及したばかりで、打てる人さえ社内にはあまりいなかったのだ(それなのにどういう理由で購入されたのかは知らない)。
編集長から受け取った企画書の文章を適当に直したり、付け加えたりして(その時はよかれと思ってやっていたのだが、考えようによってはとんでもないことだ(笑))、打ち上がったので、編集長のところに持って行った。すると、編集長は思い出したかのように、
「そういえば、この増刊はお前が編集長やることになってるから、お前が書かなきゃいけないんだった」
「はあ(オレが編集長!?)。でも、適当に直したり、付け加えたりしましたから、半分、オレが書いたようなもんです」
「じゃ、これでいいか」
増刊の話も初耳だったが、オレが編集長を務めるという話も初耳だった。「投稿写真」の増刊自体、入社直後に手伝った「Sailor club」以来だ。
この時点では、まだタイトルも決まっていなかったが、AB判のグラビア誌で、4Cページは、撮り下ろしのヌードが一本、他は「投稿写真」でこれまで撮ったアイドルの水着グラビアを二次使用、1Cページは、マンガと読み物で埋めることになっていた。
「マンガ家、誰がいいかな?」
編集長に訊かれた。撮影や企画ページのライターは、作業に入る直前でもセットできるが、マンガ家は下手をすると一年先までスケジュールが詰まっていて、単発の仕事をおいそれと頼めない。早めに押さえておく必要がある。
「前田俊夫なんてどうですか? 『うろつき童子』とか売れてましたし」
「う~ん、じゃ前田さんで行こうか。大橋が担当な」
と簡単に決められても、連絡先も何も知らない(笑)。とりあえず、「劇画ジャンプ」の編集部に行くと連絡先はなんとか分かった。
「これ、結構古いから、もう使われてないかも」
と言われたものの、実際掛けてみるとちゃんと繋がった。一度も会ったこともないのにいきなり電話だけで仕事を頼むのも失礼なので、前田さんの仕事場まで足を運んだ。
前田さんは、執筆歴からして結構な歳(4~50代くらい)かと思っていたのだが、会ってみると30代とまだまだ若かった。とてもおしゃべりな人で、仕事の打ち合わせというより雑談をしにきたみたいだった。スケジュールもうまく合い、その場でカラー4ページを含む16ページの仕事を引き受けてもらえた。
「あぶないマガジン」の下準備と並行して、7月号の取材・撮影を進めた。7月号は、アイドル担当ページ改変号に当たり、「日本全国イベント会場マニュアル」のコメンテイターが、姫乃樹リカから本田理沙に、相談室がパンプキンからかわいさとみになった。これまでは両方ともオレの担当だったが、かわいさとみの相談室は三橋が担当することになった。特集は、本田理沙の就任記念も兼ねた「アイドルイベント写真マニュアル」だった。担当したのはオレだが、過去に何回か似たような特集をやっていたので、楽勝にこなすことができた。
本田理沙は、会社のビルの隣のマンションに住んでいて、仕事以外にもコンビニでばったり出くわすことがあった。
「私って霊感強いんですよ。この辺ってヤバいですよ」
前にも書いたが、オレはそっちの方はてんで鈍いようだ。
「何も感じないけどなあ。ま、歴史のある街だからね」
「結構そこらへんにうじゃうじゃいますよ」
「そんなことより、こんな時間にアイドルが独り歩きしてちゃダメだぞ」
幽霊よりも人間の方が怖いのだ。