第93回
オタクバッシングと闘ってる(大袈裟)ウラで、森さん達との同人誌作りは着々と進んでいた。宮崎事件で世間の注目を浴びながら、晴海で最後に開かれたコミケを見学に行って冬コミの申込書を手に入れたり、2週間に一度くらいのペースで会議をしたりして、だんだんと形が見えてきた。スタッフも最初の4人に、森さんの友人の間島さんとアシスタントの篁初子が加わり、6人になった。
「本文が128ページになりそうなんだよね」
上原さんが大丈夫かと心配そうに言う。通常の同人誌の倍以上のボリュームだ。
「A5判なら、紙代はそんなに掛らないでしょうから、大丈夫じゃないですか」
オレはそう答えながらも、実際に積算をしたことがないどころか、積算表さえ見たことがないことに気付いた。「投稿写真」の原価でさえ全く知らない。勘で定価の1/3くらいであろうことは知ってはいたが、全くの新規だと見当がつかなかった。印刷所は、ただのかずみの知っているトコを紹介してもらっていたので問題なかったが、体裁を決めて見積もりを出してもらわないと原価が出ない。
(ただのさんが、安くしてもらえるって言ってたし、まあなんとかなるだろう)
最終的な制作費は、100万以上になるのだが、オレは、(いっても5~60万だろう)と気楽に考えていた。
12月号は、前の年と同じフォトコンの発表があったので、やはり同じように5人のアイドル相手に駆けずり回ることとなった。ただ、2回目なので慣れたもの、選考と取材のアポを早めに入れて、9月中にほとんど終わるような段取りを取っておいた。
その入稿が終わりかけた頃、「あぶないマガジン」の2号目を出すことが決まる。1号目の返品率が21%台と好調だったためだ。仮とはいえ、自分が編集人になっている雑誌が売れて、なんだかこそばゆい気分だ。
「ただ、"あぶない"ってタイトルが、コンビニから敬遠されてるらしいんで変えてくれって営業が言うんだけど、どうする」
堀川編集長は困った顔をしている。
「変えなきゃ、コンビニに入れてもらえないってことですか?」
「そうなんだよ」
この頃から、雑誌は書店の売り上げよりもコンビニでの売り上げがグ~ンと伸び、書店中心の営業からコンビニ中心に変わりつつあった。雑誌やジャンルによっては、コンビニを無視することはできない時代になっていたのだ。
二人でどうしようかと相談しているところに社長(現会長)が現れた。
「大橋、増刊の誌名、変えるんだって。決まったのか?」
「いいえ、まだですけど...」
「なら、いいのがあるよ。"マガジン・マガジン"ってのはどうだ。欧米なんかじゃ、同じ言葉を2度繰り返したタイトルがよくあるんだよ。前から考えてたヤツだけど、お前にやるよ」
正直、いかがなものかとは思ったが、社長からお前にやると言われて、結構ですとは言えない。
「ありがとうございます」
誌名変更は、悩んでいたのが何だったのかと思うほどアッサリと決まってしまった。ちなみに「マガジン・マガジン」は、売れるには売れたのものの、顔写ビデオの特集で使った顔写された女優の顔のアップ写真がコンビニの逆鱗に触れ、再び一号のみでお蔵になってしまうのだが、社長はこのタイトルをよほど気に入っていたのか、'91年に社名を変更する際にそのまま社名に使い、現在に至っている。