第94回
「マガジン・マガジン」の発売日は、年明けの1月9日に決まった。
(ゲッ!?)
それを聞いた時、オレは心の中で嗚咽とも悲鳴ともつかない声をあげた。ただでさえ忙しい年末進行なのに、並行しての増刊の製作、ウラでは12月24日の冬コミに向けての同人誌を作らなくてはならない。
(果たして乗り切れるか!! いや、やるっきゃない!!)
一部、公私混同自業自得とはいえ、地獄の年末進行は、'80年度の最後の年に激烈な様相になる気配濃厚だった。
まず押さえとかないといけないのが前田先生のスケジュールだ。年末進行時はレギュラーの仕事だけでも手一杯のはず、恐る恐る電話を入れると、なんとかしましょうとの返事。10月18日に打ち合わせをして、4C4ページ、1C12ページの計16ページで、ネームを10月中、原稿を11月末の締め切りとした。かなり早い設定だが、12月に突入してしまう前にもらえるようなら安心だと思ったのだ。
10月下旬は1月号の撮影・取材を2本済ませ、31日から11月3日まで、この年3度目のサイパンに飛ぶ。モデルは諸江みなこ('71年10月14日生まれ、石川出身)で前回に続き単発のロケだった。
サイパンから帰ると通常通りの'90年1月号の編集作業に入る。まだ、年末進行前なので余裕だ。
そのウラで森さんとの同人誌は、『ミッションスクール図鑑』とタイトルも決まり、一週間ほど会社の仕事が終わると浅草の図鑑舎に向かい、終電ギリギリまで作業して10月下旬早々に入稿が完了した。
「27日に校正紙が上がってくるんだけど、どこでやろう? ここじゃあ広げる所がないよ」
森さんから電話で連絡があった。4面台紙なので校正紙の大きさはB3判、そんなに大きいものではないが、確かに図鑑舎の机では狭すぎる。
「大橋くんの会社でできない?」
「バレるとまずいけど、会議室なら使っている時はその編集部の人以外、覗くこともないから、大丈夫かな?」
オレは一度電話を切り、総務に行って会議室の予約状況を調べた。ラッキーにも27日は空いている。予約して森さんに電話を掛け返す。
「会議室取れたんで、こっちでやりましょう」
「じゃ、印刷所から届いたら連絡するよ」
森さんと上原さん、オレの三人で校正作業は3時間近くかかったが、誰かが会議室を覗きにくることもなく、バレずになんとか校了まで漕ぎつけた。
「今回、一からやってみて、締め切りに遅れるのがどれだけいろんな人に迷惑を掛けるか分かったよ。これからは、締め切りを守るようにする!!」
校了後の一服をしているオレに真面目な顔をした森さんが、しみじみとした声で語った。オレはその一言を聞いて、森さんがそう思ってくれたことだけでも一緒に同人誌を作った甲斐があったと思った。実際には、その後締め切りをちゃんと守るようになったとは言い難いものの、以前に比べたらそれほど遅れるようなことはなくなった。
こうして3ヶ月で5誌(「投稿写真」1、2、3月号、「マガジン・マガジン」、『ミッションスクール図鑑』)のノルマは、本格的な年末進行に入る前に2ヶ月で3誌になった。