第95回

 1月号の特集は、'80年代の締めくくりとして「アイドルヒストリー80's」と定番の「'89新人アイドル名鑑 BEST25」。これまでは、BEST30だったのにBEST25になったのはラインナップを見ればわかる。宮沢りえ、BANANA、星野由妃、千葉美加、深津恵里、小林綾子、日原麻貴、河田純子、増田美亜、エンジェルス、山中すみか、栗原冬子、佐藤忍、高橋貴代子、成知由梨、田村英里子、川越美和、里中茶美、田山真美子、細川直美、中山忍、西尾えつ子、島崎和歌子、COCO、咲浜小百合、あと5人くらい除いてもいいような顔ぶれだ。
 '89デビュー組の唯一といっていい収穫は、宮沢りえだ。ちょうどこの頃、'90年のカレンダーが発売されて、フンドシ姿を披露したのが話題になっていた。それだけでもビックリだったのに'91年には、18歳でヌード写真集『Santa-Fe』を出し、正に度肝を抜かれた。それまでは、落ち目になったり、再起を賭けてとあまりプラス思考とは言えない形で出るのが、アイドルの過剰露出だったり、ヌード写真集だったのだが、宮沢りえはそれを完全に逆手に取った。その影響で、それまで水着のグラビアというとワンピースかビキニかで事務所との格闘があったのだが、宮沢りえのフンドシ以来、水着はビキニまでは当然となり、Tバックやフンドシをやるかどうかが争点と切り替わった。アイドル達も「宮沢りえちゃんもやってるしね」とそうしたオファーにアッケラカンと簡単に応じてくれるようになった。オレも含めた当時の雑誌のアイドルグラビア担当者は皆、宮沢りえに感謝していたはずだ。

 11月中旬、予定より2週間遅れで「マガジン・マガジン」のマンガのネームを前田先生から貰うことができた。
「巻頭のヌードのコがいないんだよ」
 編集長が「マガジン・マガジン」の巻頭ヌードのモデルが見つからないとぼやいている。「あぶないマガジン」は棚ボタではあったが野坂なつみの初ヌードだったので、今回もそれに匹敵する初脱ぎのコを探していたのだ。それを聞いて少し前にモデル志願の手紙が届いていたことを思い出した。
「こんなの来てますけど、どうです」
 手紙に同封されていた写真を渡す。当時流行っていたイカ天こと『三宅裕司のいかすバンド天国』の司会で相原勇として再デビューした小原靖子に似ていなくもない。そして、小原靖子は編集長のオキニだった。
「脱ぎ、できるのかな? 聞いてみてよ。できるようなら、一回面接したいな」
 連絡を取ると大丈夫とのこと、早速呼び出し、会社の会議室で全裸になってもらった。
「まあ、いいんじゃないか」
 編集長のこの一言で、志願モデル・西田ひろみの沖縄ロケが決定した。

 11月25日から28日、これで今年4たびのサイパンロケ。2月号の巻頭グラビアの久野博美('72年11月12日生まれ)の単独ロケだった。これら以外に八ヶ岳、北海道、そして沖縄と国内の泊まりのロケが3回。こんなにロケに行ったのは、オレの編集人生の中でも'89年以外にない。金銭的な面では、バブルの恩恵にオレは全くあずからなかったが、ロケの数だけは恩恵(?)があったようだ