第97回
ドタバタしながらも「マガジン・マガジン」の入稿は進み、後は前田先生の原稿を残すのみ、早めに入れなくてはならない4Cの4ページ分は受け取って入校したものの、1Cの12ページがまだ上がっていなかった。
「14日に他社の分が終わるので、15日から大橋さんのトコの分にかかります」
リミットは18日の月曜日。
「大橋、詰めたらどうだ?」
編集長に言われて、15日の夜から前田先生の仕事場に向かった。詰めるといってもただただコタツに入って待つだけ。「トーン貼りとかなら、手伝いますよ」と言ったのだが、アシスタントが2人もいるので、マンガの制作に関しては半素人なオレが手伝うことなど何もなかった。3度の食事は、前田先生の奥さんらしき人が運んでくれた。食事がコタツの上に並べられると、先生は、仕事場から出てきて、ギャグのつもりなのか、
「せっくす~」
とか、
「おま○こ~」
などと叫んで席に着くのだった。
初日は、徹夜で起きていたのだが、2日目ともなるとその前にも徹夜に近い激務が続いていたので、コタツでウトウトするようになってしまった。
17日の朝、リイド社の編集のKさんに起こされた。どうやら熟睡してしまったらしい。オレが寝ている内に、先生達も寝てしまったようで、Kさんは先生達を起こしに仕事場の部屋に入って行った。
(これじゃあ、詰めてる意味がないじゃん)
ちゃんと仕事を進ませなければならないのに寝てしまい、それを他社の編集に起こされるなんて、穴があったら飛び込みたいくらい恥ずかしかった。
前田先生達はサボって寝ていたのではなく、作業が一段落してから、仕上げを残して眠りについたようで、昼を過ぎる頃に原稿が完成した。オレは、原稿を持って会社に戻ると、ネームの張り込みに取り掛かった。不思議なことに余裕のある時には、なかなかまっすぐに貼れない写植は、こんな時は一発で決まる。2時間後には、印刷所の棚に原稿と版下が納まった。
こうして、超過酷な年末進行はヤマ場を抜け、残るは3月号をどこまで進められるかのみとなった