02「上原山羊肉店」

 第一牧志公設市場には13箇所の扉がある。当初の建設プランではこんなに出入り口を作る予定ではなかったのだが、施工業者が「市場は回遊性があったほうがいい」と言って扉を増やしたという。建物の外側にあるお店は「外小間」、内側にあるお店は「内小間」と呼ばれている。

 1番扉を開けて場内に入ると、扉のすぐそばにベンチが置かれており、市場が開場する前から仕事に取りかかる女性の姿がそこにある。「上原山羊肉店」の上原政子さんだ。政子さんは肉屋だが、ラジオで沖縄民謡を聴きつつ、早朝から島らっきょうの皮剥きに勤しんでいる。

DSC_0466.jpg

「これは自分の店の仕事ではなくて、アルバイトみたいなもんだね。朝はいつも、始発のゆいレールでこっちにきて、六時半ぐらいには仕事を始めてる。漬物屋さんに頼まれて島らっきょうの皮を剥いたり、自分の店で売っているスクガラスを瓶に詰めたりね。子供が小さかった頃は他所の仕事をアルバイトする余裕はなくて、ほとんど自分の仕事で精一杯。子供を学校に行かせて、八時過ぎに市場に仕事に来てたけど、子供達も大人になってるからね。今は私ひとりで、朝起きてやることもないから、早くから市場にきてる」

 政子さんは昭和18年、宮古列島に位置する伊良部島に生まれた。実家は農家を営んでいて、小さい頃から家業を手伝っていた。

「伊良部島にいる頃は、畑の草刈りをしたり、田んぼを耕したり、おうちの仕事をしながら学校に通ってましたね。あの時分はサトウキビや豆腐豆、ゴマや麦、あと西瓜なんかも作っていて。家の手伝いをするのはもう当たり前。畑仕事をしながら、お父さんと一緒に網を担いで追い込み漁に行ったりしてね。いろんなことをしてきたよ。そんなふうに過ごしていても、それが当たり前だと思っていたから、苦労しているとは思わなかったね」

 中学を卒業すると、伊良部島を離れて那覇に出た。政子さんは長女で、弟と妹が六名もおり、皆を学校に通わせるためには現金が必要だった。畑仕事は下の子供達に任せて、政子さんは出稼ぎをすることに決めた。郷里を旅立つ日には家族が港まで見送りにやってきて、紙テープを投げて別れを惜しんだ。「懐かしいよ。普段は忘れてるけど、話していると思い出す」と政子さんは語る。

「伊良部島を出たときにはまだ仕事が決まってなくて、まずは那覇に住んでいた親戚のおばさんを頼って、それから仕事を探してね。そこで紹介してもらったのが、大きな問屋のお手伝いさん。そこで毎日、朝早くから夜遅くまで働く。昔の人は休みを取るってことがあんまりなかったから、それがいまだに体に染みついてる」

 苦労したのは食事の支度だ。苦労したというのは、政子さんが中学を卒業したばかりで幼かったことが理由ではなかった。

「伊良部島にいた頃はね、そんなに食べるものがなかったんですよ。ご飯というのはなくて、芋だけ。学校に弁当で持って行くのも芋。皮を剥いて輪切りにした芋をハンカチに包んで持っていてましたよ。今の子供からすると考えられないでしょう。島に食品が運ばれてくることもあったけど、お金持ちしか買えないわけ。病気したときだけおかゆが食べられる。そんなだったから、料理をするということが少なかった。その問屋には同じ島出身のお姉さんが働いていたから、その人に教わって料理を覚えて。食事をするときには問屋の家族が並んでいて、そこに御膳を出して、私も一緒に食べる。でも、御膳を前にすると、とても食べきれんわけよ。自分ひとりでこんなに美味しいものを食べていいのかなと思ってしまう。ああ、近くだったら兄弟に持って行ってあげるのにと、最初はそんなことばかり思ってたね」

 しばらく問屋で働いていたが、22歳のときに縁談があり、結婚。夫の両親が営んでいたのが「上原山羊肉店」だった。

「山羊肉店という名前だけど、山羊だけじゃなくて、豚も扱ってる店でしたね。伊良部島に住んでいたときも、お正月だけはお肉を食べてたんです。お正月になると飼っていた豚や山羊を潰して、まだ冷蔵庫がない時代だから、豚肉はこんな大きい甕に塩漬けで保存する。山羊肉も年に1回ぐらいしか食べないから、高級品という感じだったね。それまで山羊を飼っておいて、正月になると売って小遣いにする人もいてね。昔の年寄りは年金がないから、山羊を養っておいて、それを売って小遣いを稼いでいたよ。でも、最近の年寄りは『年金があるのに、何で難儀して山羊を飼うか』と言うけど、昔はちょっと田舎に行くとあちこちで山羊を飼っていたね」

 沖縄の人にとって、山羊は食べ慣れた食材の一つだ。公設市場にも山羊肉店が5、6軒あったが、この10年で次々と閉店してしまって、現在では「上原山羊肉店」だけが残る。山羊を飼う人が少なくなり、山羊肉が高級品になってしまったことが原因だという。また、一時期「山羊肉を食べると高血圧になる」という噂が流れ、山羊を食べる人が減ってしまった。ただ、2014年に琉球大学の砂川勝徳教授が「山羊肉を食べても血圧は上がらない」という研究結果を発表すると、山羊肉を食べる人が増え始めた。最近は山羊肉を食べる観光客も増えている。

「沖縄ではね、元気をつけるときに山羊肉を食べるんです。家を新築しても、棟上げのときには大工さんの疲れをとるために、必ず山羊を出す。私なんかも、疲れたときには体が請求するから、山羊を食べる。商品として扱っていると食べる気がしなくなるんじゃないかと言われるけど、そんなことない。お肉屋さんはお肉が好きだし、魚屋さんは魚が好き。食べ方は色々あるけど、私はスープが好きだね。山羊汁というのも地域によって作りかたが違って、那覇だと山羊だけ炊いて塩味で食べる。宮古だと汁の中に昆布や大根も入れて、味噌で味つけして食べる。家族も皆山羊汁が好きだから、私が疲れた様子でいると、子供が『ママ、山羊の食べごろじゃない?』と言うんですよ。そうすると『そうだね、疲れているからね』と山羊汁を作って食べるんです」

DSC_1399.jpg

 昔に比べると、公設市場まで山羊肉を買いにくるお客さんは少なくなった。工場は息子に譲り、政子さんは市場で電話番をして過ごす。早朝から夕方まで働く政子さんにとって楽しみなのは、週に1、2回、仕事帰りにサウナに寄ることだ。

「少し歩いたところに、りっかりっか湯という銭湯があるんですよ。そこでサウナに入って、桜坂のお店で一杯飲んで、2、3曲だけカラオケを歌って帰る。それが楽しみだね。好きな曲は何だろうね。最近はよく『命くれない』を歌っているけど、瀬川瑛子は好きかもしれないね」

 いつか政子さんの歌声を聴きながらオリオンビールを飲みたいと思っているのだが、その夢はまだ叶っていない。