07「大城文子鰹節店」

 市場中央通りを歩いていると、鰹節の匂いが漂ってくる。沖縄県は、一世帯あたりの鰹節消費量が断トツの一位だ。全国平均が年間276グラムであるのに対して、沖縄はその6.4倍の1768グラムである(編注・2016年の調査より)。それだけ鰹節を使うからこそ、市場中央通りには鰹節店が3軒も軒を連ねている。

 せっかくだから買っていこうか。3軒のうちの一つ、「大城文子鰹節店」の前に立ち、鰹節を物色する。特に値段表示はないけれど、いくらぐらいするのだろう。店頭に佇んでいれば声をかけてもらえるかと思っていたが、店主は椅子に腰掛けたまま視線を落としている。おずおずと「おいくらですか」と尋ねてみると、「大きさによって色々ありますね」と店主は答えてくれた。

「これが一番小さいやつだから、ちょっと秤に当ててみましょうかね。うん、これだと1300円。何日ぐらいまでいらっしゃるの? じゃあ、もうちょっと帰る日が近くになってから買うのがいいね。真空パックしますので、常温で持って帰って、家に着いたら冷凍庫に入れれば大丈夫ですよ。丸のままの鰹節なら野菜室でいいですけど、削ったのは冷凍庫。そうすれば使い終わるまで品質は変わらないです」

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 店の看板にある通り、店主の名前は大城文子さん。今年で80歳になる文子さんは、昭和13年に那覇で生まれた。那覇生まれということは、小さい頃から市場に馴染みがあるのかと思いきや、買い物は母がひとりで済ませていたので公設市場を訪れることはなかったという。最初に足を運んだのは二十歳で店を始めたときだ。

「うちは5名兄弟で、私が一番年長だったんです。父親は早くに亡くなっていたから、自分が稼がないとということで、市場で店をやることに決めました。親戚が市役所の係長をやっていて、『市場に空きが出たけど、どうか?』と言われたんです。そのとき空きが出た小間というのは、近くに難しい人がいて、それで辞めたらしいんですね。それでも平気かと聞かれたんですけど、私も生活がかかってるので、『どんな人とでも合わせますよ』と始めたんです。その人には、最初はちょっと意地悪もされたけど、あとでうんと可愛がられました」

 文子さんが最初に始めたのは鰹節店ではなく、冷凍さんまを売る店だ。冷凍さんまを売りたいと思ったわけではなく、周りで冷凍さんまを扱う店だったので、それに合わせて商品を選んだのだという。

「あの時分はね、運動会なんかがあるときはさんまが売れてました。旅館や大きいレストランだと、フライにしてお客様に出してたみたいです。それが今の市場に建て替えになって、さんまを売っていた人たちは皆クジ引きに当たって、今の場所で鰹節屋を始めたんです。最初は8軒ぐらい鰹節屋が並んでましたよ。年寄りになって、店を辞めたり亡くなったりして、ずいぶん少なくなりました」

 3軒"も"鰹節店があると思っていたけれど、3軒"しか"鰹節店がなくなったといったほうが正しそうだ。

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「それだけ鰹節屋があっても、どの店も繁盛してました。その時分は忙しくて、削り機というのは置いてなくて、丸のままで売ってましたよ。今は暇ですけど、当時は10倍売れてました。朝も並ぶし、夕方も並ぶし、盆正月になれば大変でしたね。昔は買い物するにはこの市場しかなくて、あちこちからお客さんがやってきて、こんなして座る時間はなかったですよ。沖縄では出汁を取るとき鰹節しか使わないから、とにかく鰹節が売れたんです」

 放っておいても、鰹節は飛ぶように売れた。今でもお客さんに呼びかけずに店番をしているのはその名残だろうか?----そのことを尋ねると、文子さんは「たまに『どうぞ』と言うときもありますよ」と笑った。

「今思うと、冷凍さんまを売ってたときから『どうぞどうぞ』とは声をかけなかったですね。そうやって接客しなくても知り合いのお客さんがいらっしゃるし、別のお客さんも取りたくないし。沖縄の人は下手なんでしょうね。このあたりのお店は昔から静かですよ。内地の市場をテレビで見ると、『どうぞどうぞ』って声をかけて、活気がありますよね。あれがほんとの商売人だねと思いますよ」

 昔は飛ぶように売れていたが、スーパーマーケットが各地に増えると少しずつお客さんが少なくなった。観光客が増えるにつれて、土産物を売る店も増えたが、「大城文子鰹節店」で扱うのは鰹節と、あとは乾物とお茶だけ。それでも観光客が立ち止まり、商品を手に取ることがある。繊細な商品を手荒に扱うお客さんがいると、文子さんはぴしゃりと注意する。

 「商売が繁盛することが一番の楽しみです」。一日の楽しみはと尋ねると、文子さんはそう答えてくれた。もう一つの楽しみは、帳場に置いたテレビを観ること。「テレビは一日つけてます。ドラマを観るのが好きで、名前は覚えきれないけど、好きなのはたくさんありますよ。自分が好きと思う番組があるときは、早く帰ることもある。一番楽しみにしているのは『半分、青い』。あれが最高だね」

 話を伺ったのは夏で、あの頃NHK連続テレビ小説として放送されていたのは『半分、青い』だった。最終回が近づいていることを文子さんは寂しがっていたけれど、そのあとに始まった『まんぷく』もきっと楽しく観ているだろう。

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