11「ザ・コーヒー・スタンド」
市場界隈には路地が張り巡らされている。第一牧志公設市場を南側に出ると、とりわけ細い路地がある。人がすれ違うのもやっとという細さで、ときどき鮮魚店で働く人たちが一服する姿を見かける。
ある日、この路地を歩いていると、アイスコーヒーの入ったプラカップを手に歩く男性の姿を見かけた。アイスコーヒーを持ち歩く人の姿なんて、今ではありふれた風景の一つではあるのだが、その男性は黒いエプロンをかけていた。彼の名前は上原司さん。公設市場の真向かいで「ザ・コーヒー・スタンド」というコーヒー屋さんを営んでおり、注文があればそうして出前も承っているのだという。
「このあたりは一人で小さなお店を切り盛りされてるかたが多いので、配達の文化があるんですよ。食事やドリンクを配達してもらうのは昔から定番みたいで、うち以外にもコーヒー屋さんは何軒かありますけど、ほとんどのお店が配達をされてますね。ただ、僕の店はそんなに配達が多いほうじゃないんですよ。うちは価格帯がちょっと上になることもあって、比較的手頃な値段のお店のほうが配達頻度は高いと思います」
界隈にはコーヒー屋さんが何軒もあるけれど、「ザ・コーヒー・スタンド」はスペシャルティコーヒーを提供する数少ないお店だ。メニューを眺めると、エスプレッソ、アメリカーノ、フィルター・コーヒー、カフェ・ラテなどが並んでいる。特徴は豆が選べること。A、B、Cと値段の異なる豆が用意されていて、この日であればAクラスの豆は"エチオピア イルガチェフェ地区 コンガ農協"とケニア ウテウジジンボ エンブ"の二つが用意されている。豆の名前の下には、その豆がどんな味なのか書き添えられている。
「たとえば『ブラジル産のコーヒー豆を100パーセント使用しています』と言っても、それはお米で言うと『国産米を使用してます』というのに近いんですね。ブラジル全土から集められた豆が流通しているので、ブラジル産と言ってもかなり幅があるんです。うちで扱うコーヒーは"シングル・オリジン"といって、『新潟県の魚沼市の何丁目で、誰々さんが作っているコシヒカリ』といった具合に、どこで誰が作ったものかはっきりしている豆を使って、他の豆とブレンドせずに淹れるんです。豆を作っている地域を狭めて、良いものを作っている農家の豆を扱っているので、どうしても他のお店より割高になってしまうんです。ただ、せっかくこだわりの豆を使っているので、お客さんに豆の個性を楽しんでもらえたらと、ブレンドしないスタイルで営業してます」
豆のセレクトにこだわり、仕入れた豆も丁寧にハンドピックして、品質に問題のある欠点豆を取り除く。しっかり時間をかけてコーヒーを提供しているけれど、「そのこだわりはほとんど理解されていないのが現状です」と上原さんは苦笑する。「でも、質の良いコーヒーがあると認知してもらえたら僕としてもやりがいがありますし、『ちょっと割高だけど、その価値があるよね』と納得してもらえると嬉しいです。コーヒー豆の値段って、生産国の貧困問題とも関わってくるんですよ。消費者が納得してお金を払うことで、きちんとサイクルが完結する。僕の店なんて世界的に考えれば微々たるものですけど、ちょっとでも美味しいコーヒーを好んで飲む人が増えたり、そこから『自分もコーヒー屋さんをやりたい』と思う人が出てきたりすれば、そのスピードに拍車がかかると思うんですよね」
そう語る上原さん自身は、何がきっかけでコーヒーに惹かれるようになったのだろう。きっとどこかで美味しいコーヒーを飲んで、コーヒー屋さんを目指したのだろう――そう思い込んでいた。
「いや、僕はコーヒー好きが高じてコーヒー屋になった人間ではないんです。最初のきっかけは、『なんでこんなに苦くてまずいものに皆はお金を払ってるんだろう?』と思ったことですね。これにお金を払うんだったら、もっと美味しいコーヒーを作れば儲かるんじゃないかと調べるうちに"スペシャルティ"という言葉を知りました。当時はまだ出始めでしたけど、スペシャルティと呼ばれる豆を使ってみると、やっぱり味が違う。そこから豆の焙煎やコーヒーの淹れ方、レシピに至るまで、ひとりで試行錯誤したんです。僕はコーヒー屋さんに勤めたことは一切いないので、全部独学で、何が正解で何が不正解なのかわからないまま続けてます。好きが高じてコーヒー屋になってたら、もう満足して店を辞めちゃってたかもしれないですね」
上原さんは1972年、那覇市小禄で生まれた。コーヒー屋を始めたのは20代の頃だ。最初はキッチンカーで移動販売をしていたけれど、経営が軌道に乗り、小禄で「デザイン・エスプレッソ・コーヒー」を開店したのは2001年のこと。お店は繁盛したが、沖縄は車社会ということもあり、車で来店するお客さんが圧倒的に多かった。経営は安定していたけれど、上原さんは次第に物足りなさを感じるようになった。せっかくコーヒー屋さんをやるのであれば、香りに釣られてお客さんが立ち寄ってくれる場所にお店を構えてみたい、と。
そこまで語り終えたところで、上原さんは照れくさそうに話を中断した。「こうやって話していると、すごく一貫した人生を送っているみたいになっちゃいますけど、当時はそこまで明確な理由があったわけじゃないんです」と付け加える。
「小さい頃から今に至るまで、仕事ってことについて考えたことがないんですよ。今やっていることも、職業としてやっている意識もあんまりないですね。なんとか食べることができて、家族を養っていければそれでいいと思ってます。別に楽天家でもないですけど、先のことを考えすぎると良くないと思うんですよ。自分の人生はこうだと決め過ぎちゃうと、別の可能性もあるかもしれないのに、決めたレール以外の方向に行きそうになると脱線しているように錯覚しちゃう。僕はコーヒー屋ですけど、今から何にでも転職できると思ってるんですよ。ただ、せっかく自分が今までやってきたものがあるから、全然別の世界に行くよりは、経験を土台にやっていけたらなと思いますけどね」
寒い地域だと、暖房代が払えないと大変でしょうけど、沖縄は外で寝てても冬を越せますからね。上原さんはそう笑うけれど、上原自身は働き者だ。「ザ・コーヒー・スタンド」では、注文を受けてからコーヒーを淹れる。わずかな坪数の店だが、カップや道具が機能的に配置されている。定休日は元日だけだ。そんなに働いて倒れないのかと友人に心配されることもあるけれど、「別に上司がいるわけでもないんで、嫌なストレスはないんですよ」と上原さんは言う。
「ここで店をやっていると、通りすがりの観光の方が多くて、最近は韓国と台湾の方が多いですね。韓国と台湾はコーヒー熱がすごくて、コーヒーが好きな方やコーヒーを仕事にされている方がここを目指してやってきてくれます。言葉は全然通じないですけど、淹れ方や焙煎の方法を細かく質問されるんです。言葉はわからなくても、何の質問をされているのかは大体わかるので、中学校1年レベルの英語で説明してます」
現在、「ザ・コーヒー・スタンド」は上原さんがひとりで切り盛りしている。かつて「デザイン・エスプレッソ・コーヒー」を営んでいた頃は、従業員を雇っていて、電卓と帳簿を睨みつつ、マーケティングを練っていた。コーヒー屋さんを目指したはずが、いつのまにか経営者になっていた。それに気付かされたことも、現在の場所に移転を決めた理由の一つだ。
「この市場は自然発生的に生まれたもので、それが今も続いている場所だと思うんです。綺麗に整備された公園というわけではないけれど、砂漠というほど荒れているわけでもなく、雑草地帯が開発されずに残っている感覚ですね。もちろん僕自身はここが気に入ったから店をやってるんですけど、あまり美化もしていないんですよ。この界隈で昔から続いているお店は、ちょっとどんぶり勘定なところもあるけれど、素朴で面白い部分もある。商売の原点を見つめ直すには良い場所じゃないかと思ってます」
話を伺っていると電話が鳴った。配達の注文だ。上原さんは狭いスペースできびきびとコーヒーを淹れると、颯爽と配達に出かけてゆく。